8.能勢町山辺浮峠の道標

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能勢町山辺921 浮峠鞍部より東150m辺りの三ツ辻に南西を正面に建つ
自然石 57x28x21p
N34.979796 E135.385407


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南西面
┌――――――――――――――――┐
│ 右ハ かめ山ミち       │
│(梵字)            │
│ 左ハ さゝ山ミち       │
└――――――――――――――――┘
(梵字はキリーク阿弥陀如来の種子か)

南東面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では8)
(同書に「浮峠を山辺側に下った三叉路に、江戸中期ごろから立っていたと思われる…。現在はここに立っ
 ているが、何回か峠の切り下げや改修があって、その都度その位置を変えたものと思われる。」とある。
 確かに現在の道は直線的であり過ぎ人の歩く道としては不自然である。明治の地図でみると辻の位置は現
 在地より南4〜50m辺りと思われ、今の辻の南には旧道跡らしきものもみえるが、獣除け柵の設置など
 で入り込むことが出来ず未確認であるが、その辺りが元の位置であろうか。)
(「右亀山(亀岡)道」は、北東へ進み、山辺川を東に越えた後南進し、国道173号山辺保育所前交差点か
 ら山辺大橋を南に渡り山辺バス停へ、ここで東に川を越え山裾を南東に廻り込むと「大里221の道標」
 に出る道を示すと思う。
  「左篠山道」が当時の主要道筋であり、北に進み「金谷橋」を渡り、現国道173号に出ると思われる。
 明治期には丹州街道と呼ばれたいたようで、「金谷橋東の道標」の道標につながる。)
 
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【1.道標を南に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南西に望む
 右(南西)浮峠へ  右(北東)東山辺へ  奥(南西)浮峠へ
 カーブミラー右当道標】  左、稲荷神社、上山辺へ】  右、上山辺へ】

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【4.道標南西面左部 【5.道標南西面上部 【6.道標南西面右部
 「さゝ山ミち」  梵字は「キリーク」  「かめ山ミち」
 と読める】  阿弥陀如来とした】  と読める】
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【7.道標を北東に望む 【8.道標南西面拡大 【9.道標前より南を望む
 移設されたのは  上半分は苔で読み難い  左、旧道らしきもの
 明らかと思う】  特に梵字と「左右」】  が見えるが未確認】

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【10.能勢町西部の道標】 【11.能勢町東部の道標】

 2025/1/20【訂正】
 誤字「金屋」を「金谷」に訂正
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