21.能勢町稲地けんぼの辻の道標(不明)

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能勢町稲地567 「稲地の道標」がある交差点を南へ290mの府道603号から東民家への入り口辺りにあった
らしい
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では21を参考に載せる)
自然石 54x49x28p
N34.961671 E135.394295


正面
┌―――――――――――――――――┐
│  右 かめ           │
└―――――――――――――――――┘

左面
┌―――――――――――――――――┐
│  左 さゝ           │
└―――――――――――――――――┘


(同書に「現在府道(丹波街道)からXX家へ入る道の栗山側にあるが、この道は田和坂(番太坂)を越え
 て室川橋から森上へ抜ける旧池田道でもあった。元の場所はこの丹波街道と旧池田道の三差路けんぽの辻
 にあったものであろう。」とあり、近所の方にも尋ねたが見当たらず、無くなった模様である。
  尚、同書の現府道(丹波街道)は府道603号で南稲荷峠への道を指したもので、明治以前の主要道であ
 ったと思われる。又、旧池田道(不学により不明)とするのは、明治のころ丹州街道(篠山−池田道)と
 した下田から現汐の湯温泉を通り森上へ抜ける道へ「接続する道」を言ったものかと思う。明治の地図に
 も聯路として書かれており、三草山サイノ神峠から、亀岡へ続く道の森上に出る案内であろう。この辻を
 右(東)に折れ北に進み森上の手前で東の脇道に入ると「能勢町森上の道標」に続いており、その道標に
 あるこちら方面への案内「池田道」をして「旧池田道」とされたものかもしれない。
 尚、森上へ抜ける道は大正15年地図では道幅一間未満になっている。)
(追記、『能勢町史』に池田街道は能勢街道の近世の呼び名と解説されているほかに「旧池田道を歩く」の
 項に「ここにとりあげるのは稲地・上杉から内馬場・西畦野を経由する旧丹波街道である。これは当地で
 は「池田道」ともよび、昔から最も重要な路線で、明治・大正期の車が普及するまではまだよく往来して
 いた。」とあり、丹州街道の呼名は明治15年改修以降に使われ始めた為それと区別するのに「旧池田道」
 と使っている。とすると前書の言う旧池田道は、旧丹州街道のこの辻から南方だけでなく、室川橋を渡り
 丹州街道に出て森上の手前で東折れし上記道標に出る北東への道、も含め池田道としていたことになる。
 案内通り亀山への最短路でる。)
 
写真fimg4706 写真fimg4697 写真fimg4699
【1.けんぽの辻であろう辻を 【2.森上への道を東に望む 【3.道標の元位置とする辺りを
 北に望む、奥が篠山へ  左手が栗山とのこと  北に望む、それらしい石が
 右(東)が室川橋へ】  民家進入路にも無し】  幾つかあるが見つからず】

写真fimg3232 写真fimg3225
【4.能勢町西部の道標】 【5.能勢町東部の道標】
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