35.猪名川町銀山本町3の道標

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猪名川町銀山本町3丁目 金山彦神社参道橋の南20m三ツ辻を南西に70m道の西上地蔵前に
南を正面に建つ
(ソエ谷峠への道にある銀山三丁目橋の北50m)
角柱 64x13.5x13p(上部に直径2.5pの穴)
N34.897916 E135.348412


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南面
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│↑右 芝辻長谷大原野        │
└――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│   廣芝             │
└――――――――――――――――――┘


(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では26)
(同書には、「地蔵さん花立て兼用にしてある。」とあるが、花立に転用したもので案内面が見えない様に
 置かれている。南面の意匠を見ると酷似する道標がありそれと同時に作成されたものと考えられ、この近
 辺でこの案内が必要なのはこの地蔵から南へ「銀山三丁目橋」を越えて20mの三ツ辻しかなく、
N34.897171 E135.348089
 辺りの辻南西部(辻の南は古地図に牢屋敷とある)に、現在の南面を北面させて置かれていたとしたい。
 道路拡張等により花立に転用されたものと思われる。
  尚、明治の地図ではこの道標前の道はなく、地蔵を置くに相応しい場所でもなさそうに見え、道標と共
 に移設されたと思う。今の道は昭和42年(1967)の地図に載ることから、この頃であろうか。
  酷似する「銀山本町の道標1/2」も参照下さい。)
(西面の「廣芝」を施主とした場合、廣芝茂兵衛(翁)の銘を持つ近辺の道標をまとめた「廣芝銘道標一覧」
 も参照願います。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥(南西)ソエ谷峠へ  右奥、金山彦神社へ  道路から1m程上
 左端、銀山三丁目橋】  案内が見えぬ様置く】  地蔵祠以外なし】

写真fimg5973 写真fimg5967 写真fimg5972
【4.道標を北西に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標西面下部拡大
 東面する地蔵の前に  矢印の下に「右」  下部は埋もれているが
 案内面を南面させて】  酷似する道標有り】  「廣芝」で終わりか】

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【7.猪名川町北部の道標】
写真fimg5261
【8.猪名川町南部の道標】
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