27.猪名川町銀山本町の道標1/2

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猪名川町銀山本町27 代官所跡から青木間歩への南北の道から、西の西谷村へ分岐する三ツ辻の北西部に
東を正面に建つ(北側にもう一基が建つ)
(現在西(ソエ谷峠、長坂峠)への道は行止りで、北から迂回している。)
尖頭型角柱 114x15.5x16p(頂高5p)(矢印部0.5p浮彫)
N34.897784 E135.349219


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│右↑六瀬村木津へ一里        │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│豊太閤瓢簟(鉱)山水抜廣芝吹屋裏  │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『猪名川町の道標』より)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│右↑中谷村役場へ廿丁        │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│左↓西谷村大原野へ一里       │
└――――――――――――――――――┘


(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では32)
(西面の「中谷村役場」は、現猪名川町HPの「川辺郡中谷村六瀬村合併に関する申請書(続)」の中で
 「新しく誕生する猪名川町の役場庁舎には中谷村役場の建物があてられ」とあるので、今の猪名川町
 町役場とすると、約3.5km(32丁)となり10丁以上不足する。
 明治の地図で野尻へ出る現在の道とは別に、川を東に越へ尾根筋を東にほぼ最短で柏梨田へ出る道が
 見えるがこの道(現在は跡形もない)をしても2.9km(27丁)以上と想像され二十丁では合わない。
 そこで、「廿」がくずし字で書かれている為これを「丗」と読むべきとするのは強引すぎるであろう。
 今後の課題としたい。尚、他の六瀬木津、西谷村大原野への距離は特に問題は無いと思える。)
(北西の大原野方面に進むとゴルフ場を越え、「宝塚市芝辻新田ナギ町谷通18の道標」に行き着くと
 思うが、未踏査である。
 北の木津に進むと現ふるさと館の「元万善の道標」の元位置辺りに達すると思われるが、これも又
 未踏査。)
(北面は、当地の住所か、施主の住所か、はたまた目的地なのか判然としないが、「銀山瀬戸の道標」
 に同様の記述がありその解析から、台所間歩の上辺りと推定でき、ここからは840m程北になり、
 昭和の日本鉱業多田銀山事務所があった現鉱脈大露頭辺りでもある。
  では、そこに立っていたとしたいが、その辺りには当道標の案内と一致するような辻は無ない。
 この様に見ると厳然とした設置場所を記したものでなく、当地をカッコ良く表現する為だけに追刻
 した様に思える。そうした目で見ると、北面の平滑度は他に比べ粗く、文字も下まで長くなってい
 る。如何でしょうか。)
(方向を示す矢印や指差し像を用いるのは、明治期から大正期にかけてよく見る形式である。)
(尚、「廣芝」があるので、施主の廣芝茂兵衛(翁)の銘を持つ道標の一つとし「廣芝銘道標一覧」
 に加えた。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)六瀬木津へ  奥、長坂峠へは行止り  右後ろが当道標
 左、西谷へ今行止り】  左、広根(役場)へ】  奥(南)代官所跡へ】

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【4.道標を北西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標南面拡大
 左が当道標  「六瀬村木津へ一里」  「西谷村大原野へ一里」
 右が北側の道標】  と読める】  と読める】

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【7.道標西面拡大 【8.道標北面下部拡大
 下部の距離は  「…吹屋裏」
 「廿丁」のくずし字】  と読んだ】

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【9.猪名川町北部の道標】
写真fimg5261
【10.猪名川町南部の道標】
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