28.猪名川町銀山本町の道標2/2

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猪名川町銀山本町27 代官所跡から青木間歩への南北の道から、西の西谷村へ分岐する三ツ辻の北西部に
東を正面に建つ(南側にもう一基が建つ)
(現在西(ソエ谷峠、長坂峠)への道は行止りで、北から迂回している。)
尖頭型角柱 90x23x25p(頂高8p)(台石貫入部最大5p)(台石19x41x40.5p)(台石22x61x61p)
N34.897802 E135.349206


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│   萬善廣芝口十丁  妙見へ四里 │
│従是 広根水落シ十丁  池田へ三里 │
│   芝辻廣芝口十八丁 三田へ三里 │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│施主                │
│  廣芝茂兵衛翁          │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│右 廣根妙見以けた         │
└――――――――――――――――――┘
(「以」は「い」の変体仮名)

南面
┌――――――――――――――――――┐
│左 芝辻高平三田道         │
└――――――――――――――――――┘


(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では27)
(当地点は明治の地図では三ツ辻を成しており、西の芝辻(現宝塚市芝辻新田)への道が橋を渡り長坂峠
 へと続いており、北70mから西に分岐し迂回する道は描かれていない。北からの道は昭和42年(1967)
 の地図から見られ、当地点から西への道はこの時から消えている。)
(南にある道標を補完するような道標であるがこちらの方が立派に見える。建設の前後は明確でないが、
 雰囲気的にこちらが後の様に思える。施主の家の前に建てたと思われ貧相な道標でははばかられた為と、
 南側道標の案内と重複を避けた結果、この様な道標になったと勘繰るのは失礼であろうか。)
(北西の大原野方面に進むとゴルフ場を越え、「宝塚市芝辻新田ナギ町谷通18の道標」に行き着くと思
 うが、未踏査である。北への案内は無いが、下記「萬善廣芝口」を北の万善に進むとすると、現ふるさ
 と館の「元万善の道標」の元位置辺りに達すると思われるが、これも未踏査。)
(北面の「萬善廣芝口」を「万善」からの当地への入口(境界)地点として解釈すると、現猪名川町銀山
 の北端辺りとしてほぼ距離については納得出来そうである。(芝辻廣芝口も同様、宝塚市境とする。)
 ただ、北面案内には方向が無く一行に上下に二か所を書き込んでいる。通常道標では一行とした場合は
 同一方向である事を適用すると、万善広芝口と妙見が同一方向となり北へ進む事を示す様になり、西面
 の妙見(南、野尻方面)への案内と矛盾する。)
(施主の廣芝茂兵衛(翁)の銘を持つ道標が近辺に沢山あり「廣芝銘道標一覧」にまとめた。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)六瀬木津へ  奥、長坂峠へは行止り  右前が当道標
 左、西谷へ今行止り】  左、広根(役場)へ】  奥(南)代官所跡へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標北面と西面 【6.道標南面拡大
 台石も立派  左が北面、施主  「左芝辻高平三田道」
 東面案内が不自然】  「廣芝茂兵衛翁」】  と読める】

写真fimg5842 写真fimg5843 写真fimg5844
【7.道標の東面上部 【8.道標の東面中部 【9.道標の東面下部
 「従是」は  方向を示さず  同じく更に遠方の
 これよりの意味】  各地点の距離】  三地点迄の距離】

写真fimg5262
【10.猪名川町北部の道標】
写真fimg5261
【11.猪名川町南部の道標】
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