79.宝塚市芝辻新田ナギ町谷通18の道標

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宝塚市芝辻新田ナギ町谷通18 県道33号西谷中東の同道橋交差点から東入る1.7q
太平洋クラブ宝塚コースの北側、三叉路北部に南東を正面に建つ
平型角柱 60x14x13p
N34.909702 E135.328753


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南東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 左              │
│↓ へうたん鑛山        │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 右              │
│↑ 銀山 広根 妙見道     │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│   廣芝茂兵衛        │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)78、より。又、その解説中に、
 「「へうたん鉱山」は、猪名川町銀山を中心とする鉱山で、豊臣秀吉が賞として馬印の千成瓢箪を
 与えたことにより呼ばれるようになった」とあり、川辺郡猪名川町銀山の瓢箪間歩を指すのであろうか。
 この近辺で銀山への道は、長坂峠(現ゴルフ場)を越える道しかなく、道標からは南東への道がそれに
 あたる、それを指示する北東面の案内が「右」とはおかしい、本来は西、或いは南西面であろう。すると
 現東南面が北面、又は北西面となり、東方面ゴルフ場を通り抜ける道を指す。明治の地図では、芝辻新田
 から村上新田に続く道に当たると思われる。村上新田から南へ1q強で青木間歩に着くことが出来、こ
 の途中から瓢箪間歩(青木間歩から北700m)へ行ける事から、「ひょうたん」を使用したと思う。
  明治の地図にも「瓢箪抗」とあるのでこれかも知れない。緯度: 34.90462、経度: 135.34597辺り。
 これを含め、現在立つ位置の不自然さも考えると、移設されているのは間違いない。三叉路の東部から
 近接移設としたい。)
(又、『たからづかの道標』では、「bV6.宝塚市切畑南カイチ2の道標」との関連性が、矢印の使用
 の点で述べられており、それにある「廣芝」と「廣芝茂兵衛」とが同一人物ではないかとしている。
  確かに矢印のある道標は多くは無いが、「広芝」が地名でなく姓であるなら可能性は高いか。76の
 復帰を待ちたい。尚銀山側には、「廣芝茂兵衛翁」なる道標が複数存在する。
 矢印のある道標としては
 1.茨木市宇野辺1の道標
 2.猪名川町銀山の代官所門南西の細い道標
 等が有る。)
(銀山は現在も町名として残っており、そことする。廣根は、現、川辺郡猪名川町広根久保東3に公会堂
 があり、この辺りが中心地であったと思われる。
  さて、妙見道は何処か、現今では、大阪府豊能郡能勢町野間中661にある、所謂「能勢の妙見さん」が
 考えられる。
 広根までは一本道であるが、その後、多田院廻りか、一庫廻りか、或いは差組から畦野等が考えられる。
 此処から長坂峠を東に越えた銀山に有る道標にも「右広根妙見いけだ」とあるが手掛かりとはならない。
 『bW4.宝塚市大原野紙屋の道標』で、「左 多田院妙見」とあるので、多田院廻りが一般的であっ
 たのかもしれない。)

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【1.三叉路前より北東を望む 【2.道標を北西に望む
 山際迄少し開けた左隅に立つ  右端に道標】
 右上(東)への道(瓢箪鉱山?)と
 右横へ道なり(南)長坂峠に分岐】

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【3.宝塚北部の道標(大正5)】

 【追加 2023年9月】
 廣芝茂兵衛を持つ道標が近辺に沢山あり「廣芝銘道標一覧」を作成した。
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