8.茨木市宇野辺1の道標(宇野辺南道標)(茨木市bP4)

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茨木市宇野辺1―3 南から北へ続く旧亀岡街道から、東に高槻街道が分岐する三叉路の北部に建つ
角柱 64x15x15p
N34.80411 E135.5554


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東面
┌────――――――――――――――┐
│三宅村大字宇野邊          │
└――─―――――――――――――――┘

南面
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│↑ 高槻街道            │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│↑ 亀岡街道            │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『すいた歴史散歩』<増補版>吹田市教育委員会では、8番目
  同書では、住所が茨木市宇野辺2―3となっているが、道の北側にあるので、茨木市宇野辺1―3と
 した。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では13)
(資料により→(右向矢印)、は←(左向矢印)とするものあもあるが誤りである。天面にも矢印があり、
 十字を成しているので地図記号にある、北方向を示すものと同一であろう。
 尚、天面(頭頂部)に方向等を示す彫りこみががある道標は珍しく、
 1.「尼崎市上坂部2丁目の道標」 「千」か「十」
 2.「茨木市三咲町2の道標」   「亀」と「禽」、方角を示す四獣か
 3.「池田市石橋3札場の道標」  「十」
 を挙げておく。但し、明治に入って、道標碑面に、「東西南北」の文字を記すものは、結構見かける。)
(東面は此処の地名であろう。三宅村は、明治22年(1889)島下郡三宅村発足、昭和32年(1957)茨木市
 に編入とあり、この間の建設になるものと思われる。)
(尚、旧亀岡街道のここ以南と、東への高槻街道(奈良、茨木方面)を、私説では津門中道としている。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標上部
 電柱根元に当道標  左奥、旧亀岡街道  下辺が南面
 奥(東)茨木へ】  右(東)茨木へ】  矢印は北を指す】

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【4.吹田市の道標】 【5.茨木南部の道標】
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