67.三田市木器猪ノ倉ため池堤の道標

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三田市木器768 猪ノ倉峠から北西に下る道の東にあるため池の西土手上に北を正面に建つ
(南50mに「猪之倉墓地西の道標」が建つ)
ドーム型角柱 78x26x25p(頂高5p)
N34.929079 E135.279391


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北面
┌――――――――――――――――――┐
│    右ざい志よう        │
│(梵字)奉供養西国丗三所巡礼為二世□│
│    左池田伊丹         │
└――――――――――――――――――┘
(梵字は「サ」観世音菩薩の種子か)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│嘉永三庚戌三月吉日         │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│  同行十人            │
└――――――――――――――――――┘


(嘉永三(庚戌)三月1日とするなら、西暦1850年4月12日金曜日となる。) 
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では67)
(同書では紀年の干支が「戌庚」とあるが、「庚戌(かのえいぬ)」の誤植であろう。又梵字は同書に従っ
 て観世音菩薩の種子としたが、「ア」「キャ」等にも見える。)
(「猪之倉墓地西の道標」でも述べたように、
  当地点を明治の地図で見ると、南東猪ノ倉峠から北西現県道323号の羽束橋辺りへ出る道と、南坂本橋
 から北下槻瀬公会堂への道が、ため池の南西で交差する四辻として描かれている。この状況は道路の拡幅
 等はあるものの、現在でも同じであろう。依ってこの道標はその四辻に建っていたと想像できる。
N34.928969 E135.279327
 辺りとし、四辻の南部に北面していたならば、「右在所」が南西への道、「左池田伊丹」が南東への道を
 指すことになり、左右も正しく認識できる。
  左、猪ノ倉峠方面に向かうと峠を越えて「宝塚市大原野紙屋の道標」等に続く。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北東に望む
 奥(南西)在所へ  右(北)興福寺下へ  右、土手上に当道標
 左土手の陰、池田へ】  奥、木器天満神社北へ】  奥、下槻瀬公会堂へ】

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【4.道標を南に望む 【5.道標北面上部 【6.道標北面下部
 土手斜面の為  「奉供養西国…」と  「右ざい志よう」
 西にやや傾く】  綺麗に読める】  「左池田伊丹」】

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【7.道標西面上部 【8.道標西面下部 【9.道標東面下部
 「嘉永三庚…」  「庚戌三月吉日」  「同行十人」
 と読める】  と読める】  多人数になるか】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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