66.三田市木器猪之倉墓地西の道標

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三田市木器771−6 猪ノ倉峠から北西に下る道の東にある猪之倉墓地入口の北部に西を正面に建つ
(北50mに「ため池堤の道標」が建つ)
頭丸型角柱 67x18x15p(頂高3p)(下14pで折跡)
N34.928659 E135.279605


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│     右丹波さ(さ)山     │
│奉供養西国三拾三所         │
│     左花山院(清水)     │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

南面
┌――――――――――――――――――┐
│ 文化十四丁丑三月十七日      │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│    山(□□)         │
│(同行 岡□□)          │
│(   □□□)          │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)


(文化十四(丁丑)年三月十七日は、西暦1817年5月2日金曜日である。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では66)
(同書では「平成9年整備」とあり、移設がうかがえる。
  当地点を明治の地図で見ると、南東猪ノ倉峠から北西現県道323号の羽束橋辺りへ出る道と、南坂本橋
 から北下槻瀬公会堂への道が、ため池の南西で交差する四辻として描かれている。この状況は道路の拡幅
 等はあるものの、現在でも同じであろう。依ってこの道標はその四辻に建っていたと想像できる。
N34.929098 E135.279295
 辺りとし、四辻の北西部に南面していたならば、「右丹波篠山」が北への道、「左花山院」が北西への道
 を指すことになり、正しい案内となる。
  尚、現在(2019)北50mのため池堤上にある道標は、辻の対角線上に北面して立っていたと思われ、二
 つの道標は向かい合って立っていたが今は別々に置かれている。これが北・西方面を、池の道標が南・東
 方面を案内しており一対の道標として、両方とも堤上が良かったのではないでしょうか。)
(「右丹波篠山」へ進めば「興福寺下の道標」に出会い、「左花山院」に向うなら羽束橋に出ず、天満宮の
 北で西に分かれ木器橋を渡り、「木器1244仏像の道標」に進むものと思う。
  一方、南東猪ノ倉峠方面では峠を越えて「宝塚市大原野紙屋の道標」等に繋がる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 奥に四辻が見える  奥墓地、右峠へ  右(北西)四辻へ
 右石垣上に当道標】  左端が当道標】  左手前、猪ノ倉峠へ】

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【4.道標西面拡大 【5.道標西面中段 【6.道標西面下部
 苔に覆われ読み難い  「右丹波さ」  「…ささ山」補修部は
 案内は下部の左右】  「左花山院」か】  「さ」か「ゝ」か】

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【7.道標南面上部 【8.道標南面下部 【9.道標北面下部
 「文化十四丁…」  「丑三月十七日」  右端「山」以外は
 「丁」は右に寄る】  丑は五にも見える】  読めなかった】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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