59.三田市市之瀬切詰の道標

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三田市市之瀬104 県道37号志手原より2.6q東、山田川の宮川橋西詰の三ツ辻の北部に東を正面に建つ
(切詰バス停待合所西側)
地蔵型 71x48x32p(像部下13pより40x13x4.5p)
N34.933547 E135.254055


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│       施主         │
│  右 はりま  太兵衛      │
│(梵字)(地蔵像)         │
│  左 三田   新左門      │
└――――――――――――――――――┘
(梵字は「カ」、地蔵菩薩の種子)

北面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では59)
(同書では「陽刻地蔵尊立像。梵字は地蔵尊」としている。)
(明治の地図で見ると、東から来て西と南西に分かれる三ツ辻のようで、今と変わらないようである。現在
 西への道は400m程先の墓地で行止りの様であるが、花山院の南を尼寺へ通じていたようで更に青野ダム
 辺りを通り宮脇、広野へと続く道が見える。これが播磨への道と思われるが未踏査である。
  南西への道は志手原から三田の三輪神社へ出る現在の県道37号とほぼ同じ経路であろう。
  依って、「右はりま」「左三田」は妥当で向きも現在のままでよいと思うが、見やすさを考えると辻の
 西部に建っていたとしたいが如何であろうか。)
(花山院への案内は書かれていないが「右播磨」方面となり、東の「木器1244仏像の道標」からきてこ
 の道標から右へ道を採り1kmで「尼寺池東の道標」に行き着くと北へは当時の参道になると思う。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 右奥(東)木器へ  左奥(南西)志手原へ  左、当道標
 左端当道標の背部】  右、尼寺へ(今は不通)】  右柱はバス停】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面左側 【6.道標東面右側
 左奥(南西)三田へ  「左三田」は  「右はりま」は
 後を右、播磨方面へ】  漢字でも読めたか】  「右播磨」であろう】

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【7.道標東面左部 【8.道標東面拡大 【9.道標東面右部
 「左三田 新左門」  宝珠を持つ立像  「右はりま」
 と読める】  梵字「か」であろう】  「施主太兵衛」と読める】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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