42.三田市尼寺池東の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市尼寺 尼寺集落東の三池の内最も東の池の更に東50m、三ツ辻北西部に南西を正面に建つ
(東の市之瀬に続く道は地図には載るが未踏査、北の不動明王堂より先は倒木等で歩行困難)
蒲鉾型角柱型 34x12x12p(頂高3p)(台石4x30x30pに接着)
N34.934733 E135.24263


写真gimg0210

写真gimg0211

写真gimg0212

写真gimg2061

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│是                 │
│   花山院            │
│ より               │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│施主 …□池            │
│ 大……              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│  多田              │
│左     妙見          │
│   いけだ            │
└――――――――――――――――――┘
(「多」はくずし字で「毎」の様な字)
(「だ」は変体仮名に濁点で「池田」か)

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│施主 大坂□□新地         │
│つり可年すじ□□…         │
└――――――――――――――――――┘
(「可年」は変体仮名「かね」又は「がね」)


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では42)
(同書に「下部欠損。花山院へ登る旧道の市之瀬との分岐点にある。平成9年度整備」とある。
 現在(2019)では下部を整形し新しい台石に接着されており欠損は「妙見」の「見」が切れている事でも分かる。
 当然過去の様子はうかがう余地もない。正面とした南西側とその裏側の案内部分は綺麗に読むことが出来るが、
 両側にある施主は読み取れなかった。しかし北西面に関しては以下に少しだけ考察してみた。)
(この道標の北東面にある案内から東の市之瀬へ続くと思われる道は「妙見、多田、池田」への道であった事が分
 かる。西国三十三ヶ所巡礼で「二十四番中山寺」から、花山院、「二十五番清水寺」なら、此処から北への参道
 を進む事が多かったのかも知れない。尚東で最も近くにある「市之瀬切詰の道標」には「花山院」の案内は無く
 此方方面を「はりま道」としているのは少し気になる。)
(「花山院」の案内がある道標はこの道標から見て、
 東に「木器1244仏像の道標」
 西に「三田市尼寺48の道標」等があり、
 北に「尼寺不動明王堂北の道標」があったらしいが現在は不明で、
 南には道が無い。)
(北西面の施主右側は明らかに住所であろう。「大坂」のつぎは「戎」か「鳶」などに見え、次が「橋」「波」等
 に見える。二つの組み合わせで心当たりは「戎橋」であるが「戎橋新地」は聞かないので不明とした。
  左側の「つり可年すじ」は「つりがね筋」とすれば、現在の大阪市中央区の天満橋の南東辺りに釣鐘町があり
 これとするなら天正時代からある町名なので不足はないが、「すじ」と呼んだかは分からない。
 或いは、右側に住所があるので、屋号等の可能性もある。その下は「平嘉」「互嘉」「豆ふや」などに見える。)

写真gimg0199 写真gimg0201 写真gimg0246
【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標越しに東を望む
 左当道標、奥花山院か  右奥(西)池の頭へ  奥(東)市之瀬へか
 左(西)尼寺へ】  左、市之瀬へ続くか】  左、花山院旧参道か】

写真gimg0216 写真gimg0219 写真gimg0228
【4.道標を北に望む 【5.道標南西面拡大 【6.道標北東面拡大
 左面「是より花山院」  「是より花山院」は  右への案内が無く
 北への参道の名残か】  右手を奥(北)に】  左(東)が主要道か】

写真gimg0221 写真gimg0232 写真gimg0247
【7.道標南東面拡大 【8.道標北西面拡大 【9.道標前より東を望む
 「施主…池」は  もう一人の施主  「妙見…」と案内する道
 裏側と同じかも】  左は屋号と名前か】  未踏査である】

写真fimg7011
【10.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ