76.三田市下相野北西端の道標

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三田市下相野 県道315号相野駅南交差点より西1.1kmの四つ辻を東に30m三ツ辻の東部に北西を正面に建つ
(上記四つ辻は県道315と512号の交差点)
蒲鉾型角柱 57x22x12p(頂高4p)(上から37pで折れる)
N34.942936 E135.145865


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北西面
┌――――――――――――――――――┐
│右 三田大阪            │
│      道           │
│左 花山院             │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│四國八十八ヶ所           │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│ 同行六人             │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では76)
(明治の地図では、東西を走る現315号に相当する道から南東に分岐し皿池、三田池北沿いに廣澤方面へ向か
 う三ツ辻であったようで、現在の西30mの四辻へは北からの現県道が無く三ツ辻として描かれている。
 即ち、西大川瀬や吉川町から東進してきた人に、花山院と三田への分岐点であることを示したものである。
 花山院へはあと30m東に登ると峠となっていたと思われピーク迄の道は残るものの、東へ下るであろう旧
 道は確認できなかった。)
(『さんだの道標』では「右 三田大坂」とあるが「右 三田大阪」と思われる。ちょうど「阪」の部分で
 折れており読み難いのであるが、左側が「土」ではなさそうで「阪」とした。
  北東面「同行六人」の上に「兌」のようなものが見えるが、文字とはしなかった。)
(三田、大阪へは、西の「大川瀬の道標1」から続くと言える。では南に続くのは今では少し考えにくいが
 「上内神跨線橋西の道標」になると思う。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 左奥(東)旧道か  後、太陽光発電施設  木の左横に当道標
 右、太陽光発電施設】  右、県道315号へ】  奥、県道の四辻】

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【4.道標を東に望む 【5.道標北西面拡大 【6.道標北西面右下部
 土留の石の上に  「右三田大阪」  「大阪」とした
 置かれている】  「左花山院」と読める】  こざと扁に見える】

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【7.道標北東面拡大 【8.道標北西面左側拡大 【9.道標南西面拡大
 「同行六人」の  「左花山…」  「…八十八ヶ所」
 上は文字とせず】  と読める】  小さな「ヶ」が見える】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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