79.三田市大川瀬の道標3

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三田市大川瀬 県道315号と同512号の交差点より西へ550m、県道北側の土手上2mに東を正面に建つ
「大川瀬の道標1」の西200m、30m西に「大川瀬の道標4」が建つ)
尖頭型角柱 71x27x27p(頂高5p)
N34.941579 E135.140149


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│右 大川せ             │
│      道           │
│左 東条吉川            │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│文政八酉八月日           │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│         同        │
│奉納西国三十三所 行        │
└――――――――――――――――――┘


(文政八(乙酉)年八月1日なら、西暦1825年9月13日火曜日になる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では79)
(同書に「大川瀬湯谷坂ン谷三ツ辻、手前山中」としている地点は、2019年現在「大川瀬の道標4」の立つ
 三ツ辻を示していると思われ、そこより30m東の道の北側の雑木林の中を言ったものであろう。とすれば
 三ツ辻の地名は「湯谷坂ン谷」になるが、現表記は「大瀬川XXX」と思うが番地は不明。
  この辻で県道は南に90度折れるが、西に直進すると湯谷川の谷へ下ると思われる。谷側は未踏査。)
(地形的には、現地点から西の谷に向かう道があっても問題は無さそうであり、30m先(西)の三ツ辻から
 続く道に合流できそうで此処にも三ツ辻があったものと考えられる。依ってほぼ元の位置であろう。)
(北面、同書では「文政八歳八月日」とするが「歳」ではなく「酉」であろう。同年は「乙酉」年である。
 又、東面を「右 大川瀬」と漢字にしているが「右 大川せ」と、ひらがなで刻んである。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北東に望む
 左手県道315号  右(東)相野へ  当道標は右赤標識左で見えず
 右端に当道標】  左、東条吉川へ】  左端は西30mの道標4】

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【4.道標より西を望む 【5.道標東面左部 【6.道標東面右部
 右谷筋への道か  「東条吉川」と  「大川せ」とある
 今は踏み跡もない】  全て漢字で書く】  「大川瀬」ではない】

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【7.道標北面拡大 【8.道標南面下部拡大 【9.道標より南西を望む
 「文政八酉…」の  「…三所」下の左右に  30m西の三ツ辻は
 日付が見える】  「同行」と読める】  木に隠れて見えず】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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