99.三田市大川瀬1631の道標

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三田市大川瀬1631 県道141と75号の三本峠交差点東130mを南に登り私邸玄関西に南を正面に建つ
自然石 66x57x34p(龕部下12pから40x12x-1.5p)
N34.957968 E135.136934


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│右志ろやま道            │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│明治四十一年七月 大川せ村     │
│          堀栄吉     │
└――――――――――――――――――┘


(明治四十一年は、西暦1908年である。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では99)
(移設は間違いないのだが元位置は何処であろうか。WEB上で「古城山遺跡」なるものが
N34.955333 E135.135194
 にあるとするものがありこれを参考にすると、現地から300m程南にある248mのピークが城山ではないかと思
 われる。
  明治の地図を見ると、現三本峠交差点のすぐ西から南へ登り始め上記ピークを過ぎ現藍中学校へ下る小径が
 見え、これを案内するものとするなら、元位置は県道75号、三本峠交差点の南西部
N34.958391 E135.135021
 辺りと想像できる。
  この場所に建っていたとするなら三本峠交差点は筋違いの四ツ辻であったと思われ、辻南東部に南西面してい
 たと考えられ辻北西部にある「大川瀬三本峠の道標」と道を挟んで並んでいたものとなりそうである。
 この南への道は舞鶴自動車道で途切れているようだが、現藍中学校からつつじが丘を越え「大川瀬の道標1」
 に出ることが出来て吉川方面への最短道である。一見「城山」の古跡を案内する風に見えるが南への主要道路を
 案内した道標であるかもしれない。道路拡張等により関係者宅に移設されたものではないかと想像する。)

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【1.道標方を南東に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北西に望む
 道標は見えない  左端が当道標  四角錐台を成す
 左県道75上相野へ】  道標前は庭で道無】  案内は枠内に】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標西面上部
 左が当道標  「右志ろやま道」  「明治四十一年七月」
 他の石とは異質】  「城山道」であろう】  「明」は読み難いが】

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【7.道標西面下部拡大 【8.道標を見下ろす 【9.元位置候補を南に望む
 「大川せ村…」  下辺が南面  正面建物右辺りか
 施主の住所か】  亀裂が見える】  手前「三本峠道標」】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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