44.三田市小野公園南の道標

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三田市小野 県道49小野公園入口より南へ560mの東擁壁上に西を正面に建つ
(花山院参道口から北へ770m)
自然石 86x72x28p
N34.941916 E135.235762


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│従是左               │
│ 花山院              │
│  御廟所道            │
│    御茶講中          │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では44)
(同書に「小野村方面よりの登山口に建っていたが、道路工事で移動されたようである。」とある。
 明治の地図で見ると、現参道の花山院山門の西400m(現琴弾坂碑)辺りから小野公園の最南端辺りへ尾根筋を
 直線的に下る小径が見えこれが北西小野からの参道であろう。当然千丈湖はないが現県道49に当たる道が西の黒
 川沿いに通っておりこの道からの分岐となっている。現県道は青野ダム建設前と余り変わっていないが明治の頃
 は川沿いと思われ移設は間違いないと思う。
 現在(2019)当道標のある地点からは道が無く少し北に山道が見え(地理院地図には無い)、なぜそこに移設し
 なかったかは不明である。
  元位置は公園南部の
N34.943154 E135.235357
 辺りと思われ、水没は免れたと思うが、道路にあるべきとして移設されたものか。
 現在は西面(道路に向く)しているが、北面していたと思われ、「左花山院」は南東への参道を示したと思う。
  尚、『三田の道しるべ』郷土文化研究会1982年刊49は「道路に面した山側の花山院へ登る登り口の崖の中
 腹に立ててある。」としている。発行時は千丈寺湖建設前である。前書が「工事で移動」とあるのはここからの
移動と考えられる。そこは現在地から80m程北の地点と思われ、今は造成中か何かで登山道として使えないのか、
 道標の北40m辺りに付け代えられている。今のこの登山道は道標移転後に出来たように思う。)
(西面左上部が欠けているようにも見え、その下に文字の一部らしきものも見える。)
(「花山院」の案内がある道標はこの道標から見て、北、東方面には他市町も含め無さそうで、南からはこの参道
 を利用する必要はない。そこで考えられる西側を見るとやはり存在し
 「末居屋山霊園の道標」「四ツ辻の道標」
 等があり、播州清水寺からの巡礼経路が見えてきそうである。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東北に望む 【3.道標を東に望む
 右擁壁の低い地点  道標に登る為に  山側に道は無く
 雑草の茂み裏にある】  擁壁に鉄筋の梯子】  県道左小野、右尼寺へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標西面左下部拡大
 左、尼寺、現参道へ  左「御廟所道」とあ  小さく「御茶講中」は
 右(北)小野へ】  丁寧な案内である】  小野村の施主であろうか】

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【7.道標西面左拡大 【8.道標西面中央拡大 【9.道標西面右拡大
 「御廟所道」は  左側「花山院」と  「従是左」が漢字なのは
 は良く見えるが】  大きく刻む】  案内を第一としないか】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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