48.三田市小柿の道標

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三田市小柿506 県道309号JA小柿出張所の南70mの三ツ辻の南東部に西を正面に建つ
自然石 87x38x35p
N34.985052 E135.264938


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│  右きよ水 三田         │
│奉供養西国参拾三所         │
│  左池田いたミ          │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│     白雲 慈昭居士      │
│     田畑 与三兵ヱ      │
│     嘉土  つな       │
│  願主 西村  きぬ       │
│     嘉土  くら       │
│     岡本  そで       │
│     田畑  むら       │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│天保六年未正月同行         │
└――――――――――――――――――┘


(天保六年(乙未)正月1日とすると、西暦1835年1月29日木曜日となる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では48)
(明治の地図では当地に辻は見えない。この田の持ち主の方の話によると「現位置より南東の灯籠橋に蛇行しな
 がらの細い道があり、その橋も元は北100m程に掛っていて、渡ると現在竹藪のある大きな家の北へ続いてい
 たが、圃場整備でその道は東の川岸に出るだけの道になってしまった。」との事で、道標の向きも元は北西を
 正面にしていたともお聞きした。2019年時点で最近道標に車が当たり、セメントで固定してあった道標が取
 れてしまい、直す時には元の向きに戻したい。とも言われておられたが、転倒遺失の恐れが大である。)
(案内方向に関しては上記の話より、「右、清水、三田」は県道309号を南へ進み、「左、池田、伊丹」は上記
 細道を南東に進み、県道37号に出て南下する事になり、問題はない。現在の灯籠橋を渡る道は現地の340m
 南で三ツ辻を成しており、此処への道標移転は考えられなかったものであろう。
  尚、この消えた細道は、『北摂羽束の郷土史誌』西村忠孜1993年刊の第二章の二「池田街道をたずねて」
 に具体的な記述が見られる。)
(願主に、男二名(一人は戒名)と女五名が書かれ、四家(或いは屋号)の名前があるが、記述順が家名毎で
 ないのは、長幼の順か、分家などが関係しているのか、等と考えてみるのも面白い。上記郷土史家と願主の
 一人の名前が一致する事も興味を起こさせる。)
(北面の紀年を『さんだの道標』では「天保六年 三月」としているが「…未年正月」が正しいように思う。)
(三田方面へは「小柿見比峠の道標」に続き、池田方面へは「下槻瀬の道標」に繋がる。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)小柿へ  奥(東)羽束川西岸へ  奥、県道309小野へ
 右、羽束川西岸へ】  右、県道309小野へ】  左、羽束川西岸へ】

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【4.道標を東に望む 【5.道標西面左部 【6.道標西面右部
 奥への道は元田んぼ  「左池田いたミ」  「右きよ水 三田」
 割れ基礎に乗る石】  と読める】  と読める】

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【7.道標北面上部拡大 【8.道標北面中部拡大 【9.道標北面下部拡大
 「天保…」の「保」は  「六年…」  「未正月」
 くずし字で読み難い】  と読める】  と読める】

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【10.道標南面下部拡大 【11.道標を南東に望む 【12.現灯籠橋を東に望む
 願主に同姓があるが  道標の背後へと続く  元は100m程北らしく
 その順に並ばない】  細道が有ったとする】  灯籠は昭和の作】

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【13.三田北部の道標】
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【14.三田西部の道標】 【15.三田東部の道標】
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