90.三田市大川瀬大谷の地蔵台石

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市大川瀬984 東条川の新滑橋西詰より西2.3qの屈曲部(実は三ツ辻)北部に南を正面に建つ
(県道141号間新田バス停からは西2.7km、東760mに「大川瀬大谷の道標」が建つ)
角柱 33x25x22p(台石9x36x39p)(上部二石4x29x22p)
N34.954493 E135.093751


写真gimg2247

写真gimg2249

写真gimg2251

写真gimg2254

南面
┌――――――――――――――――――┐
│實山□信              │
│□□院信              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│摂州大谷              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では90、同書に載る写真の内上部の石(地蔵像付)は盗難により遺失と
 聞いた。よってここでは下部の石のみを記述する。尚同書の記述が上の石か下の石かは不明である。)
(当石に残る文字の位置から下部は削り取られていると思われ、残された部分のみの記述である事をお断わりする。
  東面は比較的に読みやすく、一字目を手扁か示扁か怪しいが手扁とし「摂州大谷」とした。明治の地図を見る
 と「大谷」とあるのでこの辺りの地名であろう。
  南面は読み難いが「左右」の文字は無さそうで一部戒名等と思われる文字があり道案内では無さそうに思える。
 依って、失われた上部に案内があったものと思われ、現状では道標とし難い。
  只、当地を大きく見ると変則的な四辻でもあり、当然道標が置かれるべきで所であったと思われる。この石の
 周りには幾つかの石が残り他にも道標に相当する石造物が置かれていた事が窺える。)
(「北への道は送電鉄塔迄は行けるがそれより北へは人は通らない。昔は梅木峠への道だったでしょう。」と土地
 の方は話されていた。未踏査であるが、梅木峠の道標迄は直線で1km程の距離であり、もしこの石が案内するの
 であれば「左清水寺」が妥当であろう。多分「梅木峠の道標1」に繋がると思う。)

写真gimg2292 写真gimg2241 写真gimg2294
【1.台石を北東に望む 【2.台石を北に望む 【3.台石を南に望む
 右奥、大川瀬ダムに  白看板左に小さく  奥(南)加東市秋津
 架かる新滑橋へ】  建つのが当台石】  西戸天満神社へ】

写真gimg2295 写真gimg2257 写真gimg2258
【4.台石を北西に望む 【5.台石南面拡大 【6.台石東面拡大
 石が数個あり他にも  行先の案内では  「摂州大谷」は
 石造物が有ったか】  無さそうである】  当地の住所】

写真fimg7011
【7.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ