92.三田市大川瀬梅木峠の道標1

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市大川瀬 三田、丹波篠山、加東の市境の梅木峠鞍部の三ツ辻南部に北を正面に建つ
(三基の内南側、北に「梅木峠の道標2」「梅木峠の道標3」がある。加東市平木5の民家敷地内。)
板碑型 36x28x6p(背後石44x28x16p)(多分背後の石と合わせて一基の道標であろう。)
N34.964082 E135.09296


写真gimg2332

写真gimg2336

写真gimg2340

写真gimg2347

北面
┌――――――――――――――――――┐
│右 西戸天神            │
│左 大川瀬             │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(おいそがしい中、色々ご協力いただいた当家の奥様に感謝いたします。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では92)
(明治の地図で見ると当地は南の東条村から北の鴨川村平木への道より、南東の藍村大川瀬に分岐する何れも聯路
 の三ツ辻である。東への道は無いものの道の東は今田村となっており江戸時代には三国の国境であった。現在は
 三市の市境となっているが、三田市域に道標が建つ為「三田市の道標」とした。辻の形は「Y」を逆にした型で
 三田市域は360度の内20度(1/18)程度しか占めず、西側180度は加東市、東160度は丹波篠山市となっている。
  南東の道は「摂津国天保国絵図」に朱書きされ「大川瀬村より丹波国木津村迄壱里七町三拾間(4,741m)」
 とある。又道標の東にある小さな池も「弐(二)ッ池」と書かれ、三田の民話にも残っている。
  尚、北と南の道は未踏査である。)
(北面の案内に関しては特に問題はないと思われが、『さんだの道標』は「右西戸天神町」と「町」を付けている。
 下部が失われている為「天神町」かどうか確認できないが、もし付いていたなら現加東市に天神町が有るために
 西戸+天神町と二つの地名を案内したと採る事も出来、「西戸天神」の神社を案内したものか不明である。西戸
 には天満神社もあるらしいが、秋津住吉神社が有名の様である。)
(当道標の特徴はその形で、自体は石盤で自立させる為には下部に基礎部を必要とするが、折れたためかこれを支
 えるための鏡台型の石に載せられており、誂えたかのようにピタリと納まっている。自立できずそのまま地面に
 埋めた場合は案内が見えなくなるので後日に造り付けたものと想像する。依って二つで一つの道標としたい。)
(南東に「大川瀬336の道標」があり、南「右西戸天神」に進むと「大川瀬大谷の地蔵台石」があり、そこを南
 に3km程で加東市秋津の西戸天満神社に出る。)

写真gimg2311 写真gimg2440 写真gimg2444
【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 右(南)西戸へ  奥(北)清水寺へ  右二石が当道標
 左、大川瀬へ】  手前二石が当道標】  後ろの道右、大川瀬へ】

写真gimg2334 写真gimg2370 写真gimg2379
【4.道標を南東に望む 【5.道標北面左部 【6.道標北面右部
 後の石は衝立の  「左大川瀬」と  「右西戸天神」の
 役目として建つか】  読める】  「神」はほぼ無し】

写真gimg2341 写真gimg2344 写真gimg2345
【7.衝立石の北面拡大 【8.衝立石の南面 【9.衝立石の東面
 文字等は無い  粗く整面された  右の道標背面に
 下は道標の南面】  だけで文字は無い】  合わせた北面】

写真fimg7011
【10.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ