93.1.三田市大川瀬梅木峠の道標3

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三田市大川瀬 三田、丹波篠山、加東の市境の梅木峠鞍部の三ツ辻南部に北を正面に建つ
(三基の内の北側、南に「梅木峠の道標1」「梅木峠の道標2」がある。加東市平木5の民家敷地内。)
地蔵型光背 31x26x15p(像部18x肩巾11x3p)(台石5x20x22p)
N34.964098 E135.092955


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北面
┌――――――――――――――――――┐
│□ハとうしやう           │
│(地蔵立像)            │
│左 大川せ□かわ          │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│□大□□              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│天…                │
└――――――――――――――――――┘


(おいそがしい中、色々ご協力いただいた当家の奥様に感謝いたします。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊には記載なし。)
(当地の説明に関しては「道標1」を参照ください。)
(北面の案内に関して、右上の方向を示す部分が欠けて読めないが「右」と想像して、次は「ハ」に見えそのま
 まとした。「右」の下部かも知れないが左側との釣り合いを考え一字とした。「と」の二画目は強く「、」が
 入り左上から右下への続きが浅く消えたものと理解した。「や」の三画目の縦棒が短く「つ」の様に見えるの
 は良くある。以上から「右ハとうしやう」とすると「右ハ東条」と読める。
  左側も一部欠けるが「左」と見え、「大」は筆圧の弱い中央が消えて周りの点が残ったものとみて「大」と
 した。「川」は見え、「せ」が何となく見える気がする。一字おいて「かわ」で、続けると「左大川せ□かわ」
 と読んだ。これを「左大川瀬□川」とすれば、南東「大川瀬」を案内するものとして問題は無いであろう。
  尚、「□かわ」を「よかわ」として「吉川」も良いが、左が近いかは良く解らない。)
(東面の一文字目は「天」と見え紀年銘ならば、天和(1681〜1684)天明(1781〜1789)天保(1830〜1844)
 等が該当するが、他には読み取れないのでここで止めておく。)
(南東に「大川瀬336の道標」があり、南の「右東条」に進むと「大川瀬大谷の地蔵台石」があり、そこを南に
 3km程で加東市秋津の西戸天満神社に着き、そこは明治の地図では「東條村」となっている。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を西に望む
 右(南)東条へ  後右(南)大川瀬へ  右端が当道標
 左、大川瀬へ】  左(北)端が当道標】  左から道標1、2】

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【4.道標東面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標西面拡大
 「天」他の字も  「□ハとうしやう」  「□大□□」とした
 ありそうだが】  「左大川せ□かわ」か】  その他は読めない】

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【7.道標北面拡大 【8.道標北面拡大 【9.道標北面右部
 「左大川せ□かわ」  像の頭や右上が欠け  「□ハとうしやう」
 と読んだが】  「右」は見えない】  と読んだが】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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