88.三田市大川瀬336の道標

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三田市大川瀬336 県道314と75号の交差点、四辻北東部、民家生垣前に南を正面に建つ
(交差点南東部の大川瀬公民館の北側)
地蔵型光背部 78x33x18p(下から18p像部42x15x5p)(下から23pに折痕)
N34.939369 E135.117793


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(写真無)

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南面
┌――――――――――――――――――┐
│ 右丹波古市            │
│(仏像)              │
│ 左清水かも川           │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│慶應元丑六月立           │
└――――――――――――――――――┘

北面(写真無)
┌――――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│観音講中              │
└――――――――――――――――――┘


(慶應元(乙丑)年六月1日とすると、西暦1865年7月23日日曜日となる。慶応は1865年4月7日からであるが、
 閏5月もあり改元後2か月は過ぎており、新元号が間に合ったものと思われる。
  改元時建立の例は「高槻市京口町12の道標」等を参照して下さい。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では88)
(同書に「陽刻地蔵立像。」とある。)
 明治の地図では南西にもう一本道が見え五つ辻に見え、南西への道が「大川瀬美野田の道標」の元位置地点に
 繋がっており、今は変電所で無くなっているが、更に「大川瀬の道標8」に続いていたと思われる。今の地蔵
 道標は南面しているが、左(北)清水と右(東)丹波古市への道を案内する事は自明とし、元は辻の北東角で
 南西面していたか、南面していたなら今より数メートル西の辻の丁度角にあったと思われる。)
(左「かも川」は「天保国絵図、播磨国」に載る、「上鴨川」「下鴨川」を示すと思われる。この道は播磨国絵
 図には載らないが、「摂津国天保国絵図」に朱書きされ三国国境の主要道であったと思われる。明治の地図で
 は聯路として載り、北西の大谷(現大瀬川900)から加東市平木に繋がっていることが分る。今はゴルフ場
 で一部途切れるが「大川瀬大谷の道標」に出会う。)
(右「丹波古市」は現県道75号を北東、「大川瀬三本峠の道標」から「藍本の道標」へと続く道を示し、この道
 は今も主要道である。)
(尚、案内には無いが南50mに「大川瀬248の道標」があり南へ向えば吉川の古市にも行け、角柱の道標で
 あったなら、二ヶ所の古市が見られたかもしれない。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を西に望む
 左右が県道75号  右奥(北東)三本峠へ  奥(西)天神へ
 ミラー右に当地蔵】  左、ダム、清水寺へ】  道標後ろは生垣】

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【4.道標南面左 【5.道標南面 【6.道標南面右
 「左清水かも川」  地蔵像であろう  「右丹波古市」の
 清水はくずし字】  背後は舟形構造】  丹は内の様に見える】

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【7.道標西面拡大 【8.道標東面上部 【9.道標東面下部
 「観音講中」は  右側「慶應元…」  「…丑六月立」
 施主であろう】  と読める】  と読める】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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