91.三田市大川瀬大谷の道標

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三田市大川瀬900 東条川の新滑橋西詰より西1.6qの三ツ辻北西部に東を正面に建つ
(県道141号間新田バス停からは西2.7km、西760mに「大川瀬大谷の地蔵台石」がある)
蒲鉾型角柱 71x28x17p(頂高4p)(龕部60x12x-1p)
N34.958091 E135.100243


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│   右 清水           │
│南無観世音菩薩 (蓮華像)     │
│   左 東条           │
└――――――――――――――――――┘
(「水」はくずし字)

北面
┌――――――――――――――――――┐
│ 文化十二亥三月吉(日)      │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│西國供養□             │
└――――――――――――――――――┘


(文化十二(乙亥)年三月1日とすると、西暦1815年4月10日月曜日となる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では91)
(同書に「文化三亥…」とあるが「文化十二亥…」の間違いである。文化三年であれば丙寅年となる。)
(東面の左側上部から42pより、同じく右側47pにかけ折損しており「東、菩、清」の字が一部欠けた状態であ
 るが、読み下しにあたってはほぼ問題ないであろう。)
(清水寺参詣の観点で明治の地図で見ると、三本峠から来る人は今田町間新田から北西の木津を経由し平木へ出る
 方が近道であり、此処を通る事は無かったと思う。それは、間新田バス停の三ツ辻北側にある地蔵堂前の小さい
 方の文久二(1862)年の銘がある東向きの道標に「右きよ水」と北西の木津方面を案内している事でも分かる。
  一方、南の「大川瀬336の道標」方面から来る道が現在のゴルフ場の中を通り、この辻の東110mの三ツ辻
 に繋がっていて、クラブハウスの前から北は今も昔と同じ道筋が残っており、三ツ辻を西に進めばすぐこの道標
 に当る。
  ここで「右清水」に採れば、北の「梅木峠の道標1」に繋がり、峠を下れば清水寺里坊のある平木迄は2km
 程である。)
(東面「左東条」に進むと760mで「大川瀬大谷の地蔵台石」に出会い、そこを南に3km程進み加東市秋津の西戸
 天満神社に出れば、明治の地図では上東条村となっている。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北に望む
 右(北西)梅木峠へ  奥、加東市秋津へ  左(北西)清水へ
 左、加東市秋津へ】  右(北西)清水へ】  右、丹波篠山市今田町へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面左部 【6.道標東面右部
 法面に半ば埋り  「左東条」と  「右清水」の「清」が
 防獣網に覆われる】  此方は読める】  上手く続かないが】

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【7.道標西面拡大 【8.道標東面下部 【9.道標北面拡大
 「西國供養」の  蓮華が7cmの高さ  「…亥年三月」迄は
 下にも字が続く】  で彫られている】  間違いなく読める】

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【10.今田町間新田の 【11.同左道標北東面
 道標を南に望む  「右きよ水」は北西
 右下小さい道標】  県道141の木津を指す】

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【12.三田北部の道標】
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【13.三田西部の道標】 【14.三田東部の道標】
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