101.三田市藍本の道標

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三田市藍本1189 国道176号藍本駅案内から西県道75号西100m、踏切西のT字路南東部に北西を正面に建つ
山型角柱 42x20.5x17p(残存頂高3p)(上部右側欠損))
N34.97269 E135.155123


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北西面
┌――――――――――――――――――┐
│  右ハ者りまみ(ち)       │
│奉納百八霊順禮供養(塔)      │
│  左大さ加見ち          │
└――――――――――――――――――┘
(「者、加、見」は変体仮名「は、か、み」で
 「右ハ播磨道」「左大坂道」であろう)
(( )部は『さんだの道標』より)

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(同)行廿壹人           │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│元禄五壬申年            │
│ 七月十五日 敬白         │
└――――――――――――――――――┘


(元禄五(壬申)年七月十五日は、西暦1692年8月26日火曜日となる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では101)
(同書に「三田市内では一番古い道標。幾度も移動しているようである。」とある。)
(明治の地図では、北の古市から県道(又は里道の達路)が日出坂を越え此処で南東大阪方面(現国道176号)と
 南西(元県道75)藍小学校方面とに分岐する三ツ辻として描かれ、すぐ東には鉄道も走ることからほぼ現状と変
 わっていない。鉄道施設時には道路の付け替え等も行われたはずで、江戸時代の道筋は想像する他はないが、山
 の迫り具合や、北にある酒滴神社の位置など、又南東踏切向こうに旧大坂道が残る等から大きくは変わらないと
 思う。よって前書にある「幾度も移動しているようである。」は道路拡張等による近接移動が度々行われたもの
 と受け止め、大筋元位置としたい。)
(北西面の読みで「右ハ者りまみち」は「右ハ播磨道」で、「左大さ加見ち」は「左大坂道」で変体仮名が使用さ
 れているものの読みに難しさはないと思う。中央の「百八霊」とは「中国三十九、四国三十五、九州四国三十四」
 を足して百八霊場とする「百八観音霊場」が平成25年に制定されたとWeb等にあるが偶然の一致なのか、或い
 は良く似たもの「箕面市如意谷2の道標」に「百八十八」(四順礼の合計)等の如く、昔から「百八」があった
 ものか、はたまた単に煩悩の数等をここで使ったものかは不明である。)
(南西面「…行廿壹人」の「廿」は「ナ」「レ」と刻む。同行者二十一人で順礼したものであろう。)
(北東面の紀年銘は右側に「元禄五」の下に右上から左下に干支を刻み「壬申(みずのえさる)」とあり、左側に
 「七月十五日」とあり更にその下に「敬白」とあるのは珍しいと思う。前書の読み下しには若干の誤りがある。)
(ここ藍本は「元禄国絵図摂津国」で「藍ノ本庄村」とし、「藍ノ本庄村ヨリ丹波国草野村迄拾九町、此日出坂峠
 丹波国ニテハ草野峠ト申候」と書かれている。この道標のある三ツ辻は描かれていないが、南東への道で武庫川
 迄に一里塚が有ったことが分る。この道筋に有っては摂津国最後(丹波からは最初)の道標であったと思われる。)
(南東大阪方面では「東本庄の道標」に、南西播磨方面では「大川瀬三本峠の道標」に繋がる。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を西に望む
 後はJR藍本踏切  奥、藍小学校へ  右(北)藍本駅へ
 奥(東)国道176へ】  左(東)国道176へ】  左、県道75を藍小学校へ】

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【4.道標北西面左拡大 【5.道標北西面拡大 【6.道標北西面右拡大
 「左大さ加見ち」は  「…百八霊順禮…」  「右ハ者りま…」は
 「大さかみち」】  を中に左右に案内】  「右ハ播磨道」とした】

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【7.道標北西面上部 【8.道標南西面拡大 【9.道標北東面拡大
 左右の案内は元から  「…行廿壹人」と  「元禄五壬申年」
 右が下っていた】  読める。施主か】  「七月十五日…」】

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【10.道標北西面下部 【11.道標を東に望む 【12.踏切東より南東を望む
 右側「…りまみ」の  最下部に折れ痕  大坂道であろうと思う
 下は「ち」と思える】  旧大坂道に正対す】  道標はこの道に正対す】

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【13.三田北部の道標】
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【14.三田西部の道標】 【15.三田東部の道標】
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