50.神戸市北区有馬町1134の道標

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神戸市北区有馬町1134 有馬川西側雪国稲荷神社の三叉路を西に70mの三ツ辻の北部に南西を正面に建つ
自然石 125x61x42p
N34.796623 E135.250869

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南西面
┌─―――――――――――――――┐
│右 六かう山          │
│      道         │
│すぐ 京大坂          │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では9)
(同書に「「右六かう山」は最高点の東を越えて住吉川へ、「京大坂」は舟坂・生瀬・小浜(宝塚)へとたどる。」
 とある。明治の地図を見ると当地より右に進み同書の六甲最高点東への道(ととや道)を採るためには、南東の
 山裾に当り西へ廻り込み炭酸泉源公園に出る必要があり遠回りになりそうで少し納得がいかない。移設の可能性
 も考える必要がある。即ち、阪急バスの有馬バス停から金の湯の前を通り京大坂を目指す有馬道(湯本坂)から
 右に折れて「ととや道」を目指すには西140mの三ツ辻が最適で、分岐する道も太く描かれている。
N34.796279 E135.249509
 辺りで、金の湯からうわなりの湯を過ぎ、銀の湯に右折する辻になると思うが如何であろうか。
 右折後は道なりに「炭酸泉源の道標」「鳥地獄の道標」と「ととや道」に600mと最短でつながる。
  尚、当地点を経由すると240m程度遠回りになる。
  一方、すぐ「京大坂道」は有馬川(六甲川)に出て南東に少し登り、杖捨橋から舟坂へと繋がっており「有馬
 街道」と書かれ、今よりは蛇行しているもののほぼ同じ道筋であり、どちらの辻に建っていても問題はない。)
(自然石で、一応四面あるが北西面が28pと狭く三面で構成された三角柱状の石である。これは建っていた辻の形
 と位置が反映される事が多く、現南西面が一番見えやすく「すぐ=直進」と「右」が整合するのは上記三ツ辻の
 南東角に西面して置かれていたと想像する。
  尚、「すぐ」と濁音表記するのは江戸時代には少なく字のバランス等から見て「゛」だけ追刻された可能性も
 考えられる。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(北東)有馬川へ  奥道なりに金の湯へ  左、阪急バス有馬へ
 右、水天宮へ】  右に当道標の背面】  右70mで有馬川へ】

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【4.道標を東に望む 【5.道標を北東に望む 【6.道標南西面拡大
 左、すぐ京大坂  白い家の向こうに  「右六かう山」
 右奥、六甲山と案内】  雪国稲荷がある】  「すぐ京大坂」】

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【7.道標を上から望む 【8.道標西横の掲示板 【9.道標を南東に望む
 下辺が南西面で  上之町は旧小字か  奥「右六甲山」だが
 三角柱状に近い】  文字部は一部加工】  ととや道へは遠回り】

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【10.元位置候補を東に望む
 電柱辺か、奥、現道標へ
 右、炭酸泉源公園へ】

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【11.有馬の道標】
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