60.神戸市北区有馬町妙見寺参詣道の案内

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神戸市北区有馬町 阪急有馬バス停西の妙見寺参詣口、八丁丁石より80m道の東側に南を正面に建つ
自然石 92x54x34p
N34.797561 E135.246710

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南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│さんけい道               │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│北陽                  │
│  佐藤じう              │
└――――――――――――――――――――┘
(「じ」は変体仮名「志」に濁点)

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では17)
(同書に「この自然石の道標は字体からみて参道では最も早く建立された石碑であろうが、建立者の氏名がなくそ
 のゆかしさが偲ばれる。」とあるが、北面には女性の名前が刻まれている。尤も名前の上に「北陽」とあるだけ
 で、何処の人かは分からない。又参詣道への案内でもないので厳密な「道標」とはし難いが同書に倣い載せる。
 多分、参詣道から分岐する地点を過ぎた直後に置かれているので、道を誤っていない事を認識させる目的と解釈
 出来る。方向を入れるなら「すく」であろうがその必要を感じなかったか、見映えの良さを採ったと思う。
  当然参詣先は妙見寺であろうが、「最も早く」を本堂再建(大正九年)以前の作としたいと受取ったが、字体
 だけでの判断は無理であろう。施主の名前から女性と思われ「北陽」が地名等でなければ苗字と受け取れ、明治
 三年の「苗字許可令」以前には遡れないと思う。他の丁石等と同じ時期であろう。)
「八丁」が大正十一年、西暦1922年に立てられており、30m程で「七丁丁石」に続く。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 右奥が当道標  「さんけい道」  奥、80mで参詣口
 左「すいこうあん」】  と読める】  右に道があるが不明】

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【4.道標南面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標北面左部
 「さんけい道」  右上の「北陽」  「佐藤じう」
 方向の案内がない】  は地名であろうか】  と読める】

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【7.有馬の道標】
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