11.神戸市北区有野町有野654西の墓地の道標

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神戸市北区有野町有野654 県道15号五社北交差点北210m崖山橋南詰の四辻を南西に川沿い110mの栂尾橋から
南へ30mの墓地入口に南東を正面に建つ
自然石 69x59x25p(上部欠損)
N34.811188 E135.215214

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南東面
┌─―――――――――――――――┐
│…あ可し 飛めじ        │
│        道       │
│ まや 飛やうこ        │
└――――――――――――――――┘
(「可、飛」は変体仮名「か、ひ」で
 「明石、姫路、摩耶、兵庫」であろう)

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には記載なし)
(上部が失われている為左右は確定しないが、右側を左に書くことは無いので、「右側が明石、姫路」、「左側が
 摩耶、兵庫」と出来るだろう。明治の地図で近辺を見ると二ヶ所候補があり、一点は北40mの
N34.811470 E135.215241
 栂尾橋の北詰南西部となり、
 二点目が300m南の
N34.808528 E135.215365
 兵庫県神戸市北区有野町有野751のコンビニ北東角の旧道三ツ辻
 が挙げられる。
  主要道からいえば第二点であるが、距離や現在は不明ではあるが「栂尾橋北詰の道標」があった事を考慮する
 と第一地点が元の位置であろう。
 依って、栂尾橋の北詰南西部に現在の南東面を北面、或いは北東面して置かれており、右は八多町柳谷方面の北
 湯乃山街道(播磨道)を示し、左は橋を南に渡り五社から有馬道で兵庫を案内したものと考える。)
(明治の地図では達路又は県道としてほぼ現在の県道15号に当る道が描かれているが、地形的に見ると江戸時代の
 道はこの道標の前を通り栂尾橋の北から堀越川西岸沿いに有馬神社の前に進む道であったと思われる。又、橋の
 北は四辻であったようだが、現在の階段の道方向ではなく北東に崖を登る道が吉尾方面へ達していたと思われる
 がこの道は下からは確認できなかった。)
(書体の類似で南470mにある「有野町有野784の道標」も参照して下さい。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を南西に望む
 右端が栂尾橋  奥(南)150m県道15へ  墓地後は堀越川
 左手が墓地になる】  右は墓地境界の畦道】  右、栂尾橋南詰へ】

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【4.道標南東面拡大 【5.道標南東面上部 【6.道標南東面左上部
 上部欠損するが  更に近寄るが  「まや飛や」は
 「右」の下部が残る】  よく読めない】  「摩耶…」であろう】

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【7.道標南東面左下部 【8.道標南東面右上部 【9.道標南東面右下部
 「飛やうこ」は  「あ可し…」  「飛めじ」と読め
 「兵庫」であろう】  「明石」とした】  「姫路」であろう】

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【10.北区東部の道標】
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