8.神戸市北区有野町有野784の道標

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神戸市北区有野町有野784 県道15、506号五社交差点を東に60m入り突当りを南へ30m三叉路の西部民家の前に
東を正面に建つ
(南に「有野村道路元標」が接して建つ)
自然石 81x38x26p
N34.807061 E135.215181

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東面
┌─―――――――――――――――┐
│右 三田きよ水         │
│        道       │
│左 三木飛めじ         │
└――――――――――――――――┘
(「飛」は変体仮名「ひ」で「姫路」か)

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区27)
(同書に「五社の集落を東西に通る旧道筋にあり、すぐ隣に有野村道路元標が立っている。この地点は新道が開通
 するまでは三叉路の辻で、「左三木ひめし道」は西方に延びて堀越へと向かっていた。現在でも小路が残ってい
 る。文化文政のころ五社村に善兵衛・正兵衛親子の名石工がいて多くの良い仕事を残した。この道標もその一つ
 と伝わる。」としている。現在(2019)の状況を明治の地図と比較するとほぼそのままを保っている様に見えて
 道標建設が江戸時代であったとしても同様であったと考える。南北が兵庫から三田への主要道でこの地から西に
 播磨への道が分岐する辻である。依って、「右三田」が北を示し、「左三木」が西を指す必要があり現在の向き
 では少し難があり、辻の北西部に南面或いは南東面していたと思われる。
  この道標の西700mに「有野町有野195の道標」が建っておりその案内は「右者りま(播磨)」としている。)
(「飛めじ」とよく似た筆跡を持つ「有野町有野654西の墓地の道標」が現在では北470mにあり同一の施主、
 石工の可能性があるかも知れない。)
(2021年10月追記、この家の方にお話を聞くことが出来てそれによると、「元は辻の北西部に建っており、改築の折
 現在地に移動した。」との事でした。よって移設されたのはそんなに昔では無さそうである。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南西に望む
 電柱の右後ろに  左(西)姫路へ  奥(南)有馬口へ
 当道標が見える】  奥、三田へ】  左は川岸に出る道】
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【4.道標を北西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標上部を望む
 元は道の北側か  「右…きよ水」  下辺が東面
 左は道路元標】  「左…ひめじ」】  民家の壁に隣接】

【よく似た筆跡の有野町有野654西の墓地の道標との比較】
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【7.当道標 【8.墓地の道標 【9.当道標 【10.墓地の道標
 81x38x26p  69x59x25p  「飛めじ」の「飛」は「ひ」
 少し小さく感じる】  上部が欠けている】  よく似ていると思うが】

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【11.北区東部の道標】
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