1.神戸市北区道場町平田稲荷神社の道標

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神戸市北区道場町平田966 新名神高速の道場トンネル西詰の南150m神社境内南西部に北を上部に倒置される。
尖頭型角柱 130X25X27p(頂高4p)
N34.851473 E135.239258

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右面
┌─―――――――――――――――┐
│     み可け        │
│右 阿り満    道      │
│     すみよし       │
│  大坂ふ年能り者まて四里   │
└――――――――――――――――┘
(「阿、満、可、年、能、者」は変体仮名で
 「あ、ま、か、ね、の、は」である。)

上面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――┐
│明治弐年            │
│    己巳三月        │
└――――――――――――――――┘

下面(写真無)
┌─―――――――――――――――┐
│(不明)            │
└――――――――――――――――┘


(明治二(己巳)年三月1日とすると、西暦1869年4月12日月曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(右面の案内は「右、有馬・御影・住吉道、大坂船乗り場まで四里」
(現地の宮の当番の方の話として「元は神社鳥居から西240m
N34.850753 E135.236486
 辺り、神戸市北区道場町平田512の三ツ辻(筋違い四辻かもしれない)に立っていたらしく、一時は神社社務所
 の上り段として使われていた。」とお聞きした。
 この南西部に東面か北面して立っていれば、案内の通り右(西)に100m進むと「平田の道標」が立っていたとさ
 れる振分三ツ辻に出て南の有馬へ向かへば六甲山を最短で越え御影、住吉へと繋がる。
  尚、補足説明の様にも見える「大坂船乗場迄四里」は東灘区の住吉辺りの港を示すものであろう。現在の地図で
 有馬からととや道経由で住吉の浜まではほぼ16kmと思われ四里に相当すると思う。道標に於いては重要であろう
 渡川場を示す「ふなのりば」は「高槻市上本町10の道標」等見かけるが、大坂へは海上航路となり当時の交通事
 情を示す良い例になるのではないか。只、前出の方の話として「江戸時代三田藩九鬼氏の参勤交代は薬師堂の前辺
 りの茶屋で休憩後、この辻を下山口に採り陸路であった。」とお聞きした。)
(元位置に東面して立っていたとすれば、現在の底面(北面)に「左…」の案内があるかもしれない。)

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【1.神社を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を西に望む
 鳥居奥に神社  柵の後は石垣  真中部分は三行
 右手境内の南部】  手前の面に案内】  「す、み」が並ぶ】

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【4.道標の右面拡大 【5.道標右面下部 【6.道標右面上部
 「右、有馬…」  「み可け」  「右阿り満」
 と綺麗に残る】  「すみよし」等】  と読める】

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【7.道標元位置を 【8.道標左面上部 【9.道標左面下部
 南西に望む  「明治弐年」  「己巳三月」
 電信柱辺りか】  と読める】  と見える】

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【10.北区東部の道標】
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