2.神戸市北区道場町平田の道標

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神戸市北区道場町平田862 国道176平田橋交差点から北に細道230mの西側正福寺境内南側に南を正面に建つ
(地蔵像は東面して立つ)
地蔵像台石 49X51X51.5p(地蔵78x43x36p、蓮座24x55x49p)
N34.855974 E135.232896

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南面
┌─―――――――――――――――┐
│ 右 ありま          │
│ 左 京大坂          │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では1)
(同書によると「…石仏の台石に行先を刻む。「振分地蔵」と呼ばれて、もと有馬道と大阪道の分岐点にあたる字清
 水の街道筋にあったもの。近くに平田の薬師堂がある。」としている。
  明治の地図を見ると日下部から正福寺の下を南に向かう道(有馬へ)が見え、これから左に分岐する道が見える
 のは現平田橋を南に渡り平田の集落中となる
N34.850684 E135.235516
 辺り、道場町平田420の三ツ辻となりそうである。此処から薬師堂は北西100m程の距離となる。
 元位置をこの地点とした場合、北から来るとY字路に見え「振分」に相応しく、東(左)に100m進むと三ツ辻が
 ありそれを南に折れると名来に向かう。名来から東に旧道を採ると、山道を赤坂峠へ続き生瀬を経て宝塚に出れば、
 京・大坂として案内は整合する。
  尚、元位置から東100mの三ツ辻(筋違い四辻かもしれない)には、明治二年の道標ではあるが現在(2020年)
 平田稲荷神社にある「平田稲荷神社の道標」が立っていたと思われる。左「京大坂」方面へ最短の丹波道を採れば
 「西宮市山口町名来の道標」に出、遠回りになるが船坂経由生瀬を選ぶと「西宮市山口町上山口の道標」に繋がる。
  元から地蔵台石であったなら地蔵と共に辻の南部に現在の南面を北面させて置かれていた想像するが、今は地蔵
 の左側面にした為か案内が目立たぬようにセメントの様なもので埋められている。信仰の対象としてだけでは無く
 元の状態で残してほしいものである。)

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【1.門前より道標方面を 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北西に望む
 南西に望む、  中央の小さな白い  台石左面に
 左門扉の後ろ方面】  地蔵台石が当道標】  案内が彫られる】

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【4.道標を北西に望む 【5.道標南面左側 【6.道標南面右側
 「右…」は読み易いが  「左京大坂」  「右ありま」
 左は読み難い】  であろう】  と見える】

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【7.北区東部の道標】
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