5.神戸市北区長尾町宅原バス停の道標

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神戸市北区長尾町宅原1916 国道176号線宅原口交差点南60m、芝名橋北詰中央分離帯に北を正面に建つ
角柱 107x36x34㎝(上部欠損)
N34.87082 E135.224709

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北面
┌─―――――――――――――――┐
│    喜世(みづ)      │
│右 三田            │
│    多し(まゆもと)    │
└――――――――――――――――┘
(「喜世、多」は変体仮名「きよ、た」であろう)

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(天保)十三壬寅年八月     │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│    三(木)        │
│左 姫路            │
│    やし(ろ)       │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)


(天保十三(壬寅)年八月1日とすると、西暦1842年9月5日月曜日になる。)
(南面にある紀年の年号部分が欠けており読めないが「十三壬寅」の干支より、江戸時代で「壬寅」となるのは、
 慶長、寛文、享保、天明、天保の各年号となるが、13年が有るものは天保しかなく間違いないであろう。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では№4)
(同書に「右は丹波街道で三田を経て清水寺を、また遠く「ゆもと」(城崎温泉)を教えている。」とある。現在
 (2020)の状況で読める地名で明治の地図を見ると、四辻を北に「三田」、西に現長尾町上津から「姫路」方面
 へ向かう道が見え、この辺で現北面が東面していれば案内は一致する。位置的には北へ60m程の現宅原口交差点
 の北西部
N34.871359 E135.224282
 辺りが元位置と思われ、移設としたい。(宅原はエイバラと読むらしい。))
(清水、但馬湯本、三木、社の是非については読めない事もあり控えておきます。)
(西に進めば「北区長尾町上津421の道標」、北に向かえば「三田市南ヶ丘1の道標」に続く。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標元位置より
 中央分離帯に当道標  奥、有馬、宝塚へ  北西を望む、写真の
 奥(北西)三田へ】  道標後ろは長尾川】  右下辺りに有ったか】

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【4.道標北面拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標東面拡大
 「右 三田…」は  「…十三壬寅」  「左姫路…」の姫路部が
 現国道176を三田へ】  の上は天保か】  剥落し彫の深い部分残る】

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【7.北区東部の道標】
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