27.神戸市北区八多町円照寺の道標

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神戸市北区八多町上小名田2372 山陽自動車道神戸北IC東500m、上小名田公民館から北へ道なり400mの
円照寺山門を入って左15mの千体地蔵右前に北東を正面に建つ。
尖頭型角柱 73x13x15p(頂高2p)
N34.841581 E135.205945


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北東面
┌─――――――――――――――――――┐
│西國三十三所供養塔          │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│右あ王しま三木            │
│       道           │
│左ありま□た             │
└―――――――――――――――――――┘
(「王」は変体仮名「わ」、「右粟嶋、三木」か)


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未掲載)
(案内にある行先であるが、「右あわしま」は神戸市北区淡河町野瀬234にある「粟嶋神社」と見当を付けると、
 現在(2020)の県道38号線かと思われるが、今の道は南へ大きく廻りこんでおり、徒歩で目指す道は八多町深谷へ
 の道であろう。「左ありま」は「有馬」とし八多町吉尾から有野町五社として良いと思う。これを明治の地図で見
 ると候補地として二地点が見える。一点は山陽自動車道八多高速バス停から六甲北有料道の北を下って来て平地に
 出て小川を越えた
N34.839405 E135.205472
 辺りの三ツ辻。
 二点目は小名田公民館の前(北)の三ツ辻
N34.838323 E135.206782
 である。
 何れも現在のフラワーパーク方面から県道38号に出る道上にあり、西の三木方面へは深谷へ出るものと思われ、第
 一地点で曲がる方が近道で此方が可能性が高いと思われる。
  どちらに有っても辻の南部に置き、現在の南東面を北面させて右が西の「粟嶋神社、三木」、左が「有馬、□た」
 を示していたであろう。)
(南東面の「左ありま□た」の□部は剥離しているが、下部に一部「σ」が残り、仮名なら「は、な、よ」等が考え
 られ「はた」とすれば、明治の頃の八多村役場が現在の八多町吉尾の神社の北に有った様で、これを「はた」とし
 て「左八多」に問題はないが、有馬より後ろに書かれるのが気になる点である。
  では「なた」とした場合、「灘」とすれば指示する向きも記述の順も満足し、且、案内先としてもよく出てくる
 地名でもありこれが相応しいと思うが確証はない。)
(深谷方面へ向えば「八多町深谷1126の道標」に出合い、左有馬を目指し県道38を進めば、街道を少し外れるが
 「八多町吉尾公会堂の道標」がある。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.円照寺を西に望む
 供花南天の赤い実  千体地蔵?の手前  右奥階段上が山門
 の間の後に当道標】  の植木中に当道標】  突当り左15mに道標】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標北東面中部 【6.道標北東面下部
 此方を向く面に  「國三十三所供」  「三所供養塔」とあり
 案内が書かれる】  と読める】  これを正面とした】

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【7.道標南東面上部 【8.道標南東面下部 【9.道標をやや上から望む
 「右あ王しま」  「しま三木」/  上部は欠損が多く
 「左ありま」とある】  「ま□た」/道とある】  左側の字は寄り過ぎか】

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【10.候補地1を南東に望む 【11.候補地2を南に望む
 右(西)県道82へ  右(西)県道82へ
 左奥、公民館前へ】  左、県道38号へ】

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【12.北区東部の道標】
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