43.神戸市北区八多町深谷1126の道標

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神戸市北区八多町深谷1126 県道73号上で山陽自動車道を跨ぐ深谷第一跨道橋の南270mの三ツ辻北部に
南を正面に建つ。
山型角柱 67x22x17.5p(頂高4p)(基部10p高さに含む)
N34.825894 E135.18323


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南面
┌─――――――――――――――――――┐
│ 右 道場三田            │
│西國三十三所 道           │
│ 左 神付大沢            │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│安政六未三月吉日           │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  吉左ヱ門  宇兵ヱ        │
│  久右ヱ門  源兵ヱ        │
│  喜三兵ヱ  和 平        │
│  伊右ヱ門  安兵ヱ        │
└―――――――――――――――――――┘


(安政六(癸未)年三月1日とすると、西暦1823年4月11日金曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区36)
(同書では人名が6人となり、読み下しも一部異なっている。下段三人目の「和平」の「和」を除いてはほぼ上記が
 正しいと思う。)
(「左神付大沢」は現在(2020)の大沢町神付と大沢町大沢の二ヶ所を示すものであろう。「右道場三田」は勿論二
 たつの地名で、ここからは北東に上小名田に出て播磨街道と合流し道場へと案内するものであろう。明治の地図で
 はいずれの道も聯路として描かれており、交通量も多かったものと思われる。左、北西への道は現在(2020)県道
 73号で山田三田線と呼ばれ、wikiによると北区谷上西町から「北区八多町附物の道標」「同町深谷341の道標」
 を経て当道標から「北区長尾町上津1490の道標」に続く様だが南部の金剛童子山辺りは車では通行できない。)
(南面の題目下の「道」は道場でくずし字を使った為か楷書風に書かれているが、「首」の上部が「川」の様に刻ま
 れている。その部分だけ篆書の書き方に似せたものか、俗字・異体字とすべきか分からない。)
(南1.3kmに「八多町深谷341の道標」があり、北東は「八多町円照寺の道標」の元位置に続く。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北東に望む
 奥(北)県道75  奥、深谷バス停へ  奥(北東)上小名田へ
 右、上小名田へ】  左(北東)上小名田へ】  拡幅で近接移設はあるか】

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【4.道標西面拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標東面拡大
 施主であろう  「右道場…」の道は  「安政六未三月…」
 八人の名前】  くずし字で書かれる】  風化はあるが読める】

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【7.道標南面全体 【8.道標南面下部
 「左神付大沢」は  「…道」は楷書で
 二ヶ所の地名】  書かれている】

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【9.北区東部の道標】
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