22.神戸市北区八多町附物の道標

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神戸市北区八多町附物1187 県道38号と同506号の深谷交差点から南南西へ490m、旧北湯乃山道と交わる四辻
南西部に南東を正面に建つ。
尖頭型角柱 156x28.5x29.5p(頂高3p)(下から85p折損)
N34.813699 E135.18609


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南東面
┌─――――――――――――――――――┐
│  す                │
│東   有馬大坂           │
│  く                │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  す                │
│北   三田篠山           │
│  く                │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  す                │
│西   三木姫路           │
│  く                │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│        明治十四年      │
│  す      己十二月      │
│南   兵庫港      (建之)  │
│  く      發起人       │
│           (平山)    │
└―――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)


(明治十四年は西暦1881年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区35)
(同書に南兵庫港への解説が詳しく載るので全文を記す。「湯乃山街道と黒甲越え道との辻に立つ道標である。
 「兵庫港」へは、この辻からビクニ池(大蔵山東南)を通り、ナダレ尾山の西の谷(屏風谷)を登って「鰻の手池」
 から山田へくだり兵庫へと行く。明治七年、拡幅改修された三田−神戸間六里三十余の道筋である。」
  この通りであろう、依って道標を設置するに相応しい辻であったと思う。補足を加えると、湯乃山街道とは有馬
 への道を示すのであるが、播磨からの道として二経路ある様で、此処の道の場合は北湯乃山街道に当たると思う。
 又、「黒甲越」は明治の地図では鰻ノ手池から北へ金剛童子山(565m)の東を越える南北の道に書かれており、
 この道標をほぼ南北に通る道が「黒甲越え道」と呼ぶかは知らないが、鰻ノ手池の北には続いている。
  少し気になる点としては明治の時代の「東西南北」が記された道標では書かれた方角と同じ向きに建てられるこ
 とが多いと思うが、この道標は辻に合わせた為か45度時計回りに回して建てられており、尚且つ進むべき方向と
 して「すく(直)」が有るため、これに出会うと違和感を持つ。例えば、有馬方面から来たのに「すく有馬」と見
 えるので何処を案内しているのか不安になる。又、現在は「南」の行き先がほぼ見えない状況で、建設当初は四面
 共行き先が読める位置に置かれていたと思われる。明治の地図にもほぼ現在と同じ状況の建物が書かれており、全
 面が見える位置とするなら、辻の対角線に当たる北東部に建っていたと想像する。
  方向を示す「大沢町日西原地蔵堂の道標」、方位を示すものは「三田市上相野713の道標」等参照下さい。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を南東に望む
 電柱の左に当道標  奥、黒甲越えへ  奥(南東)柳谷へ
 奥(北西)深谷へ】  右(北西)県道38へ】  即ち有馬大坂方面へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標南東面上部 【6.道標北東面上部
 左(南東)面を  「東すく有…」  「北すく三田…」が
 正面とした】  と読める】  ほぼ北面に書かれる】

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【7.道標北西面上部 【8.南西面中部 【9.南西面下部
 「西すく三木…」  「兵庫…」の兵で  「明治十四年」…
 下は姫路と続く】  折れ六に見える】  「発起人」まで5行か】

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【10.北区東部の道標】
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