34.神戸市北区大沢町日西原地蔵堂の道標

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神戸市北区大沢町日西原59 県道82号大沢小前交差点を東に橋を渡り道なり230m急坂を登り切った四つ辻の
南西部の地蔵堂内に東を正面に建つ
地蔵台石部 47x21x15p(下部台10x27x18p)(上部像残存6p)
N34.857291 E135.166414


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東面
┌─―――――――――――――――┐
│     西 日西原…     │
│(像)□□西國供養       │
│     西 □□□      │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│  南 ひやうこ        │
│   □            │
│    於うこ         │
└――――――――――――――――┘
(「於」はかなの「お」で「兵庫、淡河」か)

西面
┌─―――――――――――――――┐
│    大坂山口        │
│  東             │
│    ありま         │
└――――――――――――――――┘
(「山口」は現西宮市か)

南面
┌─―――――――――――――――┐
│    さん田竹原       │
│  北             │
│    道場川原        │
└――――――――――――――――┘
(竹原は現三木市吉川町稲田か)
(「道場」はくずし字で書かれている)


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区45
 『大沢町誌』町誌編纂委、まちづくり協議会、1991年刊では573頁
 『神戸の道しるべ北区(1)』荒木勉、2001年刊では大沢町2
 『大沢町誌』には「『神戸の道標援用』」とあり読み下しはほぼ同じであるが、写真が間違っている。)
(三誌を挙げたのは、堂中にあり写真が上手く撮れず、指で触っても読めない状況であった事による。又、西面以外
 は風化も激しく間違いを覚悟でお読み下さい。尚、下部はセメントで埋められ台石代わりとしている。
  現状を説明すると、『神戸の道標』の写真では路傍(屋外)に現左端の供養塔と並んで立つ様子が見え、場所は
 ほぼ今と同じと思われる。但し、向きは現在の東面が北側道路に向いている。即ち北面している。
  地蔵像は同書掲載写真でも失われており、地蔵であったかどうかは分からない。
  又、各面に方向を示す「東西南北」が刻まれており、これは進む方向ではなく設置された場所における方位を示
 す事が多いと思う。方位の例は「三田市上相野713の道標」等を参照していただくとして、方位以外に進む方向
 が書かれていない場合、目的地へは直進すると受け取られる。尚、明治以降の作成が多いと思われる。
  一方、下に述べるが進む方向を書いたと思われる例が「八多町附物の道標」に見られる。)
(現在の位置は一見四辻に見えるが北へは民家への進入路で三ツ辻であり、四方を案内するには不適切であり、前書
 採録時点にあって既に移設されていたものと考える。では元位置は何処であったか。手近なところで現(2020)
 道路元標の建つ四辻
N34.857622 E135.167118
 辺りに、前述の原則に従い方位が書かれたものとして、現東面(像正面)を西面して建ててみると、北面の指示す
 る「三田、道場川原」が南東の天狗岩や嫁取松への道を示すこととなり、倉坂越え(「光山寺道標」がある)の道
 を外し不都合であり、その他も芳しくない。
  では、方位でなく進む方角が書かれたものとして解釈すると、北へ進めば日西原から東折れし長尾町上津、三田
 となり、現在の県道では正解かも知れないが徒歩となると間違いであろう。
  取り敢えず、方位ではなく進む方角が書かれていて、像正面下の「西」は無視して、他の三面を満足する地点を
 挙げてみると、
N34.855688 E135.165843
 辺り、大沢小学校東の橋の東詰め地点、明治の地図では変則的な四辻で川もない地点であった。
 ここに置けば、「北三田」が当道標の現在位置へ進む事になり、ここで倉坂越えに向かえば三方向は満足する。
 但し、正面の「西 日西原」は解決しない。「願主…」等の読み下しの誤りであろうか。)
(尚、前述三誌全てに於いて北面の読みを三行とみて、中央に「南 あかし」としているが、上部の「南」は良しと
 しても、その下には文字のスペースが無く、左右の文字の半分づつを合わせて一文字とし読み誤ったものと思う。)
(現在(2020)では、東50m道北側に入り「日西原52の道標」、その東15mに「道路元標」があり、更に東に
 進むと「大沢町日西原の道標」から「長尾町上津1490の道標」に続く。
 元標から北に500m程で日西原天満となる。
 又南は遠く「八多町深谷1126の道標」であろうか。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 奥(南西)小学校前へ  右端が当道標  民家後に元標の四辻
 地蔵堂右端に当道標】  地蔵部は欠損】  奥(東)倉坂越えへ】

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【4.道標東面左部 【5.道標東面中央部 【6.道標東面右下部
 「西 □□□」と  「□□西國供養」  「西 日西原」の
 したが、疑問】  と読んだが】  下に「村」があるか】

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【7.道標南面拡大 【8.道標西面拡大 【9.道標北面拡大
 手前「さん田竹原」  「東」はくずし字で  手前「於うこ」の右は
 奥は「道場川原」】  「大坂山口/ありま」】  1行で「ひやうこ」か】

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【10.北区東部の道標】
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