97.三田市上相野713の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市上相野713−4 県道141号上相野交差点から北北西260mの三ツ辻を南東へ100m地点、
農道が南へ分岐する三ツ辻南西部に北西を正面に建つ
(大瀧神社入口からJR宝塚線古宮踏切を渡り260m北西でもある)
尖頭型角柱 92x23x23p(頂高5p)(龕部22x15x-3p)
N34.951358 E135.146986


写真fimg8598

写真fimg8600

写真fimg8602

写真fimg8603

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(座像)西 清水寺道        │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│       □政…        │
│南 東條吉川  亥…        │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│東 花山院妙見           │
└――――――――――――――――――┘
(『さんだの道標』では「…妙見道」とする)

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│       □□□□       │
│北 丹波古市            │
│         同行七人     │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では96)
(同書に「東西南北の四面指示の道標で、旧道の分岐点に建っていたが少し移動していると思われる。
 陽刻地蔵尊座像。」とある。
 明治の地図で当地を見ると、南東から北西へ現県道141に相当する道と、南西古市から北東藍本へ向かう
 (今は旧道のみ残る)道がX字状に交わる変形の四辻に描かれている。同書の言う旧道とはこの古市から
 藍本への道を示していると思われ、これに従うと前項の「上相野13の道標」と同じく上記の四辻に建っ
 ていたと推測できる。では前項の道標と同じ位置に移設されなかったのであろうか。
  上にも述べたようにX字状変則四辻としたが、細かく見ると南北に少し直線部分があり、前項の道標が
 南部の西側、当道標が北部の東側に建っていたとすれば移転先を変えた事に納得がいく。依って元位置は
N34.950697 E135.146594
 辺りとしたい。当然「東西南北」が書かれている為、その向きのまま設置されていた(「西清水寺道」が
 道の東側で西面していた)と考えられる。これは変形の辻であるため、各進行方向を「右、左、すぐ」等
 では表せなかった為か、明治時代の流行にのったものか分らない。)
(建設時期について「同行七人」とあり近世(江戸期)の作のように感じられるのでもう少し考えてみる。
 方位を書いた道標は明治に入ってからのものが多いが、(代表として「茨木市中河原町10の道標」
 江戸期にも決して無かった訳では無く、
 方位をを明記した
  「箕面市箕面1の道標」
 方位神を用いた
  「茨木市三咲町2の道標」
 北を示す記号を持つ
  「尼崎市上坂部2丁目の道標」 「千」か「十」
  「池田市石橋3札場の道標」  「十」
 等がある。
 「東條」村は天保国絵図には無く、「東条村」が明治以降の誕生の為この村を示すとなると新しいものと
 なってしまうが、江戸時代から地域の名称として一般に使われていたものと思う。)
(南西面を『さんだの道標』では「…吉川 道」としているが、「□政…/亥」と読め紀年銘かと思わせる。
 江戸時代で□政となるのは、古い順に寛政、文政、安政で亥年を含むものは、寛政三(辛亥)1791年か、
 文政十(丁亥)1827年の何方かとなる。これが紀年銘であれば古さの点から文政十年としたい。如何か。)
(近辺で意匠のよく似たものが「大川瀬の道標5(辻道)」と、「大川瀬の道標7(なめら峠2)」とが
 あるが、筆跡から同一人の手になるものでは無く紀年銘も持たず参考にできない。)
(尚、現在(2019)建っている位置からは南西に「上相野13の道標」、北西に「上相野686の道標」
 南東に「上相野17の倒石」がある。)

写真fimg8592 写真fimg8593 写真fimg8594
【1.道標を北西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を南東に望む
 奥(北西)県道141へ  奥、民家を縫って  奥(南東)JR踏切渡
 左は農道か】  徒歩なら県道へ可能】  大瀧神社へ】

写真fimg8605 写真fimg8609 写真fimg8610
【4.道標北西面上部 【5.道標北西面下部 【6.道標南西面上部
 地蔵像は摩滅が進む  「…水寺道」と読める  「南東條吉川」
 その下は読み難い】  草刈機の疵が見える】  と読める】

写真fimg8736 写真fimg8615 写真fimg8731
【7.道標南西面下部 【8.道標南東面上部 【9.道標南東面下部
 「川」の右下「□政」  「東花山院」  「…妙見」の下に
 同下「亥」と読める】  と読める】  文字は無さそう】

写真fimg8616 写真fimg8620
【10.道標北東面上部 【11.道標北東面下部
 「北丹波古市」  「□□供養」かも
 と読める】  「同行七人」は読める】

写真fimg7011
【12.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【13.三田西部の道標】 【14.三田東部の道標】

【近辺の三基比較】
三田市域の県道315号(下相野森線)沿いに建つ「東西南北」と方位を示す道標を集めてみた。
外見上は、@とAが似た感じで、Bは大きな道標だなと感じる。筆跡から同一人のものでは無いと言える。
@には紀年銘らしきもの、Aには施主らしき記述が見えるが、Bは案内だけと成っている。

写真fimg8714 写真fimg8959 写真fimg9009
【@上相野713の道標 【A大川瀬の道標5 【B大川瀬の道標7
 「南 東條吉川」  「南 よ川古市」  「南 たけ原」
 今は南西面となる  と読める  今は南東面となる
 尖頭型角柱  頭丸型角柱  自然石風角柱
 92x23x23p  73x20x19.5p  104x34x32p】
 (頂高5p)】  (頂高2p)】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ