96.三田市上相野13の道標

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三田市上相野13 県道141号上相野交差点から北西150m、道路南西側に北東を正面に建つ
(相野駅西交差点から660m北西)
蒲鉾型角柱 98x32x25p(頂高3p)(龕部30x25x-3p)(像部24x15x3p)(東角上17pから西角33pで折)
N34.950698 E135.146424


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北東面
┌――――――――――――――――――┐
│       西(国)右古市    │
│       四(国)       │
│(像) 奉巡拝   (霊地)    │
│      (秩父)        │
│      (坂東) 左き(よ□・)│
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(□□□年八月吉日)        │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│  願主當(村)          │
│    今西(氏重兵衛)      │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では96)
(同書に「陽刻地蔵尊像」とある。)
(損傷、摩耗が激しくほとんど読めないが、かろうじて北東面の行き先と南東面の願主だけが読み取れる。
 当地を明治の地図で見ると、南東から北西へ現県道141に相当する道と、南西古市から北東藍本へ向かう
 (今は旧道のみ残る)道がX字状に交わる変形の四辻に描かれている。主要な辻であったと思われ、「右
 古市(南西)」「左清水(北西)」を満足するには、ほぼ西面していたものと考えられる。南西から北東
 に残る旧道の痕跡から、元位置は現在の南東20m、今では三ツ辻になっている
N34.950592 E135.146605
 辺りであろう。
  尚、元の三ツ辻から10m北の路地を、道標の案内には無い北東(藍本)方面に進むと、約90m程の
 畦道を抜けて「上相野713の道標」に出る。
 一方、北西方向(清水)に進むと150mで「上相野686の道標」への進入口となる辻になり、南西は
 「三田市大川瀬の道標1」、南東は「上相野公民館の道標」と各方向に繋がる。)
(現北東面の地蔵像の下の読みを同書では「奉巡礼」としているが「奉順拝」に見える。
 尚、『西国三十三所巡礼道』兵庫県教育委員会1991年刊でも「奉巡拝 霊場」としておりこの方が正し
 い様に思える。最近も剥がれ落ちたのであろう破片が足元にあり繋ぎ合わせればもう少し読めるかも。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を西に望む
 奥(南東)相野駅へ  右奥、現県道今田へ  左(南東)相野駅へ
 右端手前が当道標】  30m先を左が旧道か】  風化と破損が激しい】

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【4.道標北東面拡大 【5.道標北東面左下部 【6.道標北東面右下部
 地蔵像の首部分で折れる  「左き」迄は読める  「右古市」と言われれば
 その下は読めない】  その下は「よ」か】  そう読める】

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【7.道標北西面上部 【8.道標北西面中部 【9.道標南東面下部
 紀年銘があると思  欠けて読めない  「願主…」一部が欠け
 われるが読めない】  「八月」は何処か】  「今西…」下は不明】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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