95.三田市上相野17の倒石(道標か不明)

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三田市上相野17 JR相野駅西踏切を北に渡り突当り西へ10m、竹藪を東に抜ける道の南側に倒置
板碑型(上下に割れている) 35x22x13p、48x25x16p
N34.948653 E135.153253


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(写真無)

上面
┌―――――――――┐┌―――――――――┐
│(なし)     ││         │
└―――――――――┘└―――――――――┘

右面
┌―――――――――┐┌―――――――――┐
│  文政八(年□)││年(□行中)   │
└―――――――――┘└―――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

左面
┌―――――――――┐┌―――――――――┐
│(なし)     ││         │
└―――――――――┘└―――――――――┘

裏面(写真無)
┌―――――――――┐┌―――――――――┐
│(なし)     ││         │
└―――――――――┘└―――――――――┘


(文政八(乙酉)年なら、西暦1825年になる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では95)
(同書に「上相野横屋」として紹介されているが、道標の確証は得られなかった。現状のみ報告する。
  当地を明治の地図で見ると、南に走る県道141黒石三田線に相当する道から北に分岐した道が、山裾を
 藍本方面から四つ辻(短大のある)に続く道に合流している三ツ辻に見え、道標が有っても不思議ではな
 い地点であり、形状からしてもその可能性は高い。倒置されていた為か上面(広い面)も裏面も文字は残
 っておらず、単なる供養塔と言われても仕方がない。同書に倣い載せておく。ただ、下部石の「□行中」
 は見えない様に思う。
  当地点を巡礼の観点から見ると東へは花山院へ、南に踏切を渡ると中山寺から三田を経由し清水寺への
 巡礼道に行きあたり、三つの寺の接続点ともいえる重要な場所と思われる。今でもそうだが道筋が複雑で
 道標が沢山残る。一部挙げておくと、東に「東本庄2491」、南西に「上相野公民館の道標」、西に
 「上相野13の道標」等である。)

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【1.倒石を東に望む 【2.踏切北詰から西を 【3.踏切を南に望む
 左藪を抜け現道へ  望む、ボカシの右  踏切を渡り左250m
 右10mで踏切北詰】  数m登って倒石】  相野駅へ】

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【4.倒石を東に望む 【5.倒石上部右面拡大 【6.倒石下部右面拡大
 奥が石の上部  「文政八」  上部に「年」が見え
 手前が下部とした】  と読める】  「行中」は見えない】

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【7.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
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