109.三田市東本庄2491の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市東本庄2491 国道176と県道309の四ツ辻交差点を西へ900m、砂利道四辻を北西へ120mの四辻北西部に
南東を正面に建つ
(県道309の大きな病院入口看板を北折し60m、東側空地の東端の四辻。東に140m下ると勝谷南池に当る)
角柱型 74x27x24p(上部欠損、南西面の下幅27p上幅15p、北東面下幅21p上幅11p)
N34.949935 E135.161997


写真fimg9881

写真fimg9883

写真fimg9886

写真fimg9888

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│    右 山道          │
│(梵字)奉納西國丗三ヶ所 同行五人 │
│    左 きよ水里程二里半    │
└――――――――――――――――――┘
(梵字は欠けて読めず、「サ」としたか)

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(□□□□・・)          │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では109)
(同書に「梵字は観世音菩薩。供養塔に里程が彫られている。」としている。)
(当地を明治の地図で見ると、東の勝谷(現四ツ辻郵便局)から来る道が、四ツ辻大池の西から来る道と合流した
 辻(上記砂利道交差点)の北西120m地点に当ると思われ、その経路は現在東本庄と四ツ辻町の境界になっており、
 辻の北東側なら東本庄町、南西側なら四ツ辻町になると思われる。地図では北への道は現病院北の池迄続く様に
 見えその後は山を越えで藍本等に出られたかも知れないが「右山道」とあるよう主要道では無かったのであろう。
  「左清水」の道は現2019年短大東の明石池の南で長坂からの道と合流(「四ツ辻の道標」がある)し、二本松
 とある地点(現相野駅の北「上相野17の倒石」がある辺り)から南折れ後、上相野へ北西進して三本峠から、
 丹波篠山市今田町木津、平木、清水寺であろう。現在の地図でトレースすると平木の清水寺里坊で9.1km程とな
 り参道を加えると10km強と思われ道標の里程に一致する。)
(尚、里程の書かれた道標は珍しいが、西国巡礼にあっては寺までの距離が良く知られていとものと思われる。
 「宝塚市中山寺山門前の道標」
 「箕面市勝尾寺境内の中山寺百六十丁道標」
 「茨木市総持寺1の道標」
 等を参照ください。
  ここでは花山院からの巡礼者を対象としたものと思うが、ここへ続く道標としては「末松谷霊園の道標」
 ある。尚、三田市街から来た場合は「加茂422の道標」に従えば此処を通らず武庫川の西側を進むであろう。)
(題目の上の梵字は欠けており読み難いが右側に縦棒が見え、同書で観世音菩薩の「サ」としたものと思う。ただ
 左側の下部が丸く見える為「ア」大日如来の種子等も考えられる。)
(北東面は読めなかった。同書に北東(右)面に文字がある様に書かれているが、文字が有りそうなのは南西(左)
 面のように思うが読めなかったのでここで置く。)

写真fimg9909 写真fimg9878 写真fimg9879
【1.道標を西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北西に望む
 中央電柱下に当道標  奥(南東)県道309へ  右奥(北西)で
 左旧道を相野駅へ】  左手前が山道へか】  右に折れ病院へ】

写真fimg9913 写真fimg9900 写真fimg9891
【4.道標を北西に望む 【5.道標南東面左側 【6.道標南東面右側
 電柱に寄り添うが  「きよ水」は清水寺で  「…山 道」は
 自立している】  下に里程が続く】  病院北の池方面か】

写真fimg9906 写真fimg9898 写真fimg9885
【7.道標南東面左下側 【8.道標南東面下部 【9.道標を南に望む
 「…程二里半9.8km」  「同行五人」と  北東(左側)面に
 距離表示は珍しい】  読める】  文字は見えない】

写真fimg7011
【10.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ