83.三田市大川瀬の道標7(なめら峠2)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市大川瀬 県道315号と314号の交差点(三田、三木、加東、三市の境界地)から315号を北東へ160m、
県道から北に分岐する三ツ辻(兼、駐車場進入路)を20m北の道東側木立中に北西を正面に建つ
自然石風角柱 104x34x32p
N34.929215 E135.118276


写真fimg9197

写真fimg9200

写真fimg9201

写真fimg9207

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│北きよ水              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│西天神町              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│南たけ原              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│東あいの              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では83)
(同書に「元の位置は不明であるがゴルフ場の吉川より建っていたらしい。たけ原は現吉川町の竹原。」と
 ある。明治の地図で見るとこの地点は北東から南西に直線道(現県道)があり、そこに西からの道が交わ
 り、北に向かう道も出ており、K字状の四辻であった様だ。よって元位置は現位置の南20m
N34.929009 E135.118257
 今の県道上の交差点(駐車場入り口に見える)辺りと想像でき、碑面の方向通りに建っていたとしたい。
 尚、北へ続く道は現県道314号より太い道(聯路)として描かれておりこの道が大川瀬への主要道であった
 と思われ、南、吉川町西浦へ向かう道は当辻からではなく、南西へ50m「大川瀬の道標6」のある三ツ辻
 から南に分岐しているように読み取れる。
 「なめら峠」と呼ばれるように、滑らかな峠で複雑な道路状況は今でもその面影を残している。)
(南東面の「南たけ原」を「現吉川町の竹原」としているのは現2019年では三木市吉川町稲田と思われる。
  稲田村は明治5年に竹原村と美嚢川の南宮脇村が合併して出来た村らしく、それ以前の建立と考えても
 良いのではないか。竹原村は「播磨国、天保国絵図」にも載る。)
(東西南北と方向を示す似た道標二基も「上相野713の道標」「大川瀬の道標5」ご参照下さい。)
(東1.7kmに「大川瀬の道標5」があり、西50mに「大川瀬の道標6」が有る。)

写真fimg8991 写真fimg8994 写真fimg8995
【1.道標を北に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 左右が県道315号  奥(北)大川瀬へ  右20mで県道315号へ
 この辻が元位置か】  右端木の左に当道標】  道標後ろは崖】

写真fimg8996 写真fimg9006 写真fimg9007
【4.道標を東に望む 【5.道標北西面 【6.道標南西面
 右の樹齢は50年以上  「北きよ水」の漢字  「西天神町」は
 何故こんな位置に】  二文字はくずし字】  加東市天神か】

写真fimg9009 写真fimg9010 写真fimg9014
【7.道標南東面 【8.道標北東面上部 【9.道標を南に望む
 「南たけ原」は  「東あいの」は  20m奥の県道辺りが
 加東市吉川町古市】  相野駅方面であろう】  元の位置であろう】

写真fimg7011
【10.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ