82.三田市大川瀬の道標6(なめら峠1)

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三田市大川瀬 県道315号と314号の交差点(三田、三木、加東、三市の境界地)から315号を北東へ90m、
県道から南に分岐する道跡(廃道か)の三ツ辻の南西部土手上木立中に北東を正面に建つ
山型角柱 63x20.5x18.5p(頂高4p)(龕部16x15x-1.5p)(像部15x12.5x2.5p)
N34.928575 E135.117691


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北東面
┌――――――――――――――――――┐
│ 右 東条黒石           │
│(仏像)              │
│ 左 西浦竹原           │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│  右西浦石切場          │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では82)
(同書に「西浦石切場は現在大川瀬と東条町より。」とあるが「より」の意味が不明である。「西浦石切場」
 で一つの地名とし両市(三田と加東市)に跨っている事を言ったものか、三田市大川瀬の東条町寄りを言っ
 たものであろうか。)
(先ず、地名の同定から始めてみる。二つの面に記載される「西浦」を明治の地図で探すと、2019年現在の
 三木市吉川町富岡の蓮光寺の西に当たる地点にあり、此処からほぼ南へ8kmである。
  北西面の「石切場」が西浦の小字とするものか、単独の地名かは地図からは判断できなかったが、当地の
 すぐ南に開けた土地があり此処が石切場であった可能性があるが、案内先には余りにも近すぎる。
  「竹原」は、三木市吉川町稲田であろう。
  「黒石」は「天保国絵図播磨国」に載る黒石村と思われ、現在の加東市永福の北東端に当るものと思われ、
 浄光寺のある村であろう。ここから南西にゴルフ場を抜け直進2km程である。(県道315の南側で未踏査)。
  尚、東条と黒石を二地点とするなら、「東条」は西90mで北西に折れ県道315を進み天神町方面を指すこ
 とになろう。
  この様に考えると、現在建っている位置から南に南西の辻をショートカットする道が明治の地図と一致し
 北東から来た場合「左西浦、竹原」は現県道315号から左に分岐し県道314号に進む事を、「右東条、黒石」
 は直進することを示し今の向きで不都合はない。(今は廃道?で、東80mに新道がある。)
  では、北西面の「右西浦石切場」はどう解釈するか。この面が見えるのは南西から来た場合であり辻の
 形状から大きく右に回り込む形になるが、南西から西浦を目指す人がこの道を来ることは無いと思われるの
 で(南西90mの辻を南折れが近道)、「西浦にも行けますよ」程度であり、右に廻ると「石切場」がある事
 を示すのが第一では無かったか。即ち「石切場に御用の方はここを右にお入り下さい」を示すとしたい。こ
 の様に考えると北西面の下部に遠慮がちに書かれているのも納得出来そうである。尚、天保国絵図では西浦
 から、たぶん当地を通り、下相野村まで「壱里弐拾弐町五拾間」(6.4km)と道が太く朱書きされており、
 京或いは丹波への主要道であったと思われる。)
(竹原の表記からして明治5年以前の建立かと思われる。詳しくは下記道標の項を参照ください。)
(すぐ東50mに今は道から外れた「大川瀬の道標7」があったと想像し、東1.7kmに「大川瀬の道標5」が、
 西1.1kmに「大川瀬の道標8」が有る。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 正面左手藪中に建つ  奥(北東)相野へ  道標後下県道315号
 奥90mに314との交差点】  右端薮中に当道標】  撮影は廃道?より】

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【4.道標を西に望む 【5.道標を西に望む 【6.道標北東面下部
 南への道はこの左  東角上部欠けるも  「右 東条黒石」
 会社の敷地に出る】  像共に綺麗に残る】  「左 西浦竹原」】

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【7.道標北面下部 【8.道標北東面上部 【9.道標から南を望む
 「右西浦石切場」は  地蔵ではなさそう  すぐ先は作業場の広場
 道案内であろう】  仏像と表現しておく】  其処へ続く道?跡か】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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