2.堺市堺区宿屋町東3の道標

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堺市堺区宿屋町東3−2−41 妙国寺北西三ツ辻の北部に南西を正面に建つ
(東隣に「堺市堺区宿屋町東3の道標2」、辻南東部に「堺市堺区宿屋町東4の道標」が建つ)
尖頭型角柱 128x31x31p(頂高9p)(台石13x58x61p)
N34.581655 E135.481087


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南西面
┌─――――――――――――――┐
│左 大坂           │
└―――――――――――――――┘

南東面
┌─――――――――――――――┐
│      上神谷      │
│嘉永五壬子年三月吉日建    │
│       月參講     │
└―――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――┐
│左 ふじ           │
└―――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――┐
│右 そてつ          │
└―――――――――――――――┘


(嘉永五(壬子)年三月1日とすると、西暦1852年4月19日月曜日となる。この年閏二月あり。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、267
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1970(昭和47)年発行には未記載)
(行先で「そてつ」は蘇鉄で有名な妙国寺、「ふじ」は藤で有名な金光寺とすると、何方もすぐ近所である。よって
 観光案内的な道標と言えるであろう。
 「ふじ」を金光寺とした理由。国立国会図書館デジタルアーカイブの『和泉名所圖會』. [2](1796年刊)の目録に
 「金光寺藤の棚」として載り、同書のコマ番号3では、金光寺の藤を楽しむ人々の絵と共に、其角の俳句として
 「藤の花/これまて/あらわれ/いて鮹(たこ)也」が載るが、私には何を歌ったのか理解できない。
 尚、堺市史第七巻には「藤の名所として喧傳された金光寺は明治三十五年合併せられ、址域を宿屋町東三丁寶珠院
 境内へ編入…東は寶珠院、西は本受寺、南は道路を越えて妙國寺、北は成就寺に持した。」とあり、現在(2020)
 の当道標の北側に有ったと思われる。
  一方「右」の妙国寺のソテツは、名所図会コマ番号10に詳しく載り、こちらは今も道標がある道の南側にある。)
(案内に付いては現在地に於いて南西面の「左大坂」が一致するのみで、北東面「左ふじ」は通行人からは見えず、
 「右そてつ」の妙国寺は道標から道を挟んだ向かいに有り案内の必要もないと思われ、移設されたとしたい。
  前述の名所図会コマ7にある妙国寺と金光寺との位置関係から見て、堺区材木町東3丁目2−1
N34.580982 E135.479874
 辺りの四辻、北東部に、現北東面を45度反時計に廻し北西面して置けば「左ふじ」は北東を指し、「右そてつ」は
 南東を指すと受け取れ、右に進み妙国寺南側の裏門から、「大木蘇鉄」に近いとしたい。
 ただ、この時南東面となった「左大坂」が南西を示し逆方向になり三ツ辻でもない限り不都合である。依って上に
 示した地点は三方向を満足する元位置ではない。今後の検討とする。
 尚、妙国寺の表門は「東」、金光寺の入口は不明(多分西側)、大坂への道を直接に大道筋(紀州路)へとしない、
 更に、最も可能性の高い「左大坂」が追刻(「左」の筆跡が異なる)、等がキーポイントかも知れない。)
(上神谷月参講は、堺市南区片蔵に上神谷小学校(南へ11km)がありこの辺りの字から名付けられた講だと思うが、
 何れの寺に関係していたかは分らない。)
(追記、後日堺図書館の『摂州泉州堺町之図(写)文化2年(1805)』を見ると、元位置検討にあたり人の流れ的な
 ものが見えるようで、大きく移動させなくても、現在の辻の南東部に今のままの向きで置けば解決しそうである。
 この時「右そてつ」は寺の南門(裏門)への案内と見なせる。
  依って前述の元位置ではなく辻向かいからの近接移設とする方が適当であろう。「堺市堺区宿屋町東4の道標」
 を建てるために移動させられたかも知れない。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北西に望む
 左(北西)妙国寺前駅へ  道路右、妙国寺  奥、大道筋から大阪へ
 右、向陽町交差点へ】  左、本受寺、宝珠寺】  左、泉陽高校突当る】

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【4.道標北東面拡大 【5.道標南西面拡大 【6.道標北西面拡大
 「左 ふじ」は  「左 大坂」  「右 そてつ」は
 名所金光寺と思う】  と読める】  道路南の妙国寺】

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【7.道標南東面上部 【8.道標南東面下部 【9.道標を北東に望む
 「嘉永五壬子」  「上神谷」は字名  左当道標、右は指差し像を
 みずのえね年である】  「月參講」は施主か】  持つ「土佐十一士墓」案内】

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【10.堺市の道標】
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