32.神戸市北区八多町西畑256の道標

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神戸市北区八多町西畑256 県道38号西畑交差点より北に道なり1.2q、山陽自動車道の地下道直前の
交差点南西上部の四阿中に北を正面に建つ。
地蔵光背 43x22x16p(像部下13pから24x9x3p)(台石12x34x25p)
N34.830100 E135.167016


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北面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 右 (おう)こ           │
│(地蔵立像)             │
│ 左 び(ようぶ)          │
└―――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 施主                │
│  作治□              │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区43)
(同書に「右は淡河町野瀬に通じ、左は屏風辻に、そして有馬・兵庫へ行く。」としている。明治の地図を見ると右
 (南西)は小径ながら淡河町神田への道が見えるが野瀬へは分かりにくい。
  天保国絵図の摂津国播磨国を見ると、上大澤から瀧までが摂津で神田は播磨に属している。国境を播磨国では
 「ごみ」と、摂津国では「北澤」と呼んでいたらしく両村を結ぶ朱書きの道が描かれている。現在の地形から想像
 するとこの道標より200m西の沢筋であろう。明治の地図でも国境としてある。よって摂津国の道標とする。
  左は屏風辻へと同書の解説のとおりであろう。
 旧道の辻は自動車道の建設により無くなり、道の南に移して現在地点に四阿も作り祀ったものと思われる。
 尚、北の「大沢町中大沢一本松の道標」から来て、屏風辻方向へ進めば「八多町西畑403の道標」に出会う。)
(北面地蔵像の上部に梵字らしきものが見えるが分らない。又、左右の案内先も欠けた部分が多く同書に従った。)
(南面、地蔵裏面に施主の名前が入り「作治郎」だと思うが、この大きさで背部にあるのは珍しいのではないか。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む
 右奥、淡河町神田へ  地蔵以外の建物等  左(北)中大澤へ
 右手は自動車道】  は最近のものか】  今はゴルフ場へ】

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【4.道標北面左部 【5.道標北面上部 【6.道標北面右部
 「左びようぶ」と  地蔵立像とした  「右おうこ」としたが
 して良いか】  上部に梵字ありか】  欠落部多く「こ」のみ】

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【7.道標南面拡大 【8.道標北面をやや 【9.元辻辺りから
 「施主作治…」  上部から望む  道標を南西に望む
 背部に刻む】  台石に銘なし】  隧道「神戸北9」とあった】

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【10.北区東部の道標】
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