31.神戸市北区八多町西畑403の道標

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神戸市北区八多町西畑403 県道38号西畑交差点より北北西に道なり410m、
西畑神社(道東石垣上)北側の三叉路(Y字)の北部に南東を正面に建つ。
山型角柱 55x26x17p(頂高6p)
N34.823528 E135.171526


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南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 右 三田道             │
│奉納西國三十三所供養         │
│ 左 大沢谷             │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│文化二丑十月日            │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│    □兵衛            │
│  同行               │
│    次□             │
└―――――――――――――――――――┘


(文化二(乙丑)年十月1日とすると、西暦1805年11月21日木曜日となる。この年閏八月あり。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区42)
(明治の地図を見ると左(北)は瀧を通り中大澤に通じていたようで、現在も瀧まではほぼ残り、ゴルフ場のクラブ
 ハウスから北がコースや山に消えるが、中大沢素盞嗚尊神社の東で県道82号に出てくる道がそれであろう。一方右
 は大沢神付で県道73号に出る道が描かれているが、現在(2020)では山陽自動車道を越えた地点で道が無くなって
 いる。三田へは上大沢に出て、長尾町上谷津から東へ三田に向かうように見える。この二つの道を案内するものと
 して問題点のない道標である。何方の道もほぼ聯路として描かれておりそれなりの通行量があったものか。
  但し、明治の頃は20m程北でほぼ90度東に分岐する道として描かれており、近接移設されているであろう。)
(この道標の特徴として「右…道」、「左…谷」の組み合わせであろう。通常は地名を左右に並べ中央に「道」とす
 る事が多いが、方や「谷」とある。今までに「谷」と表現した道標はなかったので、「大沢谷」と言う地名なのか
 もしれない。一方「三田道」は三文字の地名でなく、「三田」+「道」と思われ字数を合わせたものであろうか。
 今後の調査とする。)
(左に進むと「八多町西畑256の道標」から「大沢町中大沢一本松の道標」へ続き、右に分かれると現在未調査の
 「八多町西畑山陽道北の道標」から「大沢町神付黒岩の道標」に出ると思われる。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北東に望む
 左(北西)中大沢へ  奥、38号西畑交差点へ  奥、三田道と案内の道
 右、西畑集落へ】  左石垣上西畑神社】  は山陽自動車道で止る】

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【4.道標南西面拡大 【5.道標南東面拡大 【6.道標北東面拡大
 「□兵衛、次□」か  「右三田道」  「文化二丑十月日」
 斜線は草刈機跡】  「左大沢谷」】  月の下に日が見える】

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【7.道標を北に望む 【8.道標南東面左部 【9.道標南東面右部
 斜面に建つ為か  「大沢谷」は地名か  「三田道」は「大沢谷」
 傾いている】  谷筋道を示すか】  と字数を合わせたか】

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【10.北区東部の道標】
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