26.神戸市北区八多町吉尾平井橋の道標2(二基の内東側)

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神戸市北区八多町吉尾717 平井橋南詰の西30m道北側川に面して北西を正面に建つ。
(八多川と吉尾川の合流地点から50m下流右岸でもある。西側にほぼ同形の道標1あり。)
山型角柱 83x21x18p(頂高3p)(上から28pで折損)
N34.831367 E135.208165


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北西面
┌─――――――――――――――――――┐
│ 右むら道              │
│神                  │
│ 左京大坂中山            │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│文政五壬午三月            │
└―――――――――――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│     大             │
│二橋施主  浮田五福         │
│     坂             │
└―――――――――――――――――――┘


(文政五年(壬午)三月1日とすると、西暦1822年4月22日月曜日となる。一月に閏月あり。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区33)
(同書の記述は左右が入違っているようである。この道標は右(南西)面に紀年が記されている。)
(西側の道標と異なる点を挙げてみる。
 1.右の行き先が「むら(村)」であり、吉尾村の集落を指すか、又は単に村の中を通っている道を示す。
 2.施主と紀年の面が左右入れ替わっている。
 これは当然設置されていた場所が同じでなく、右へ進めば村中へ向かう位置にあった事を物語っている。「二橋施
 主」とあるので橋の袂であったとし、そこが辻を成している場所は、「西側の道標1」で述べたように7基の橋の
 内、八多川にABCDの4梁、吉尾川にEFの2梁となる(番号は写真参照)。
 Aの西岸三ツ辻東部は「右むら」を「右永徳寺」とするなら可。
 Bの東岸三ツ辻東部(道標1がある)も「右むら」を「右永徳寺」とするなら可。(道標1では「右兵庫」とす)
 Cの北岸三ツ辻の南部なら「右むら」を「右吉尾神社」とするなら可。
 Dの北岸三ツ辻の南部なら「右むら」を「右吉尾神社」とするなら可。
 Eの東岸三ツ辻の東部なら「右むら」を村中の道と解釈するなら可。
 Fの東岸三ツ辻の東部なら「右むら」を「右有野」とするなら可、又
 Fの西岸三ツ辻の北東部なら「右むら」を「右永徳寺」とするなら可。
 となり何れも決め手とはならない。
  明治の地図で現吉尾町圏を見ると7梁の橋が描かれ、が有った様である。同書に元
 平井橋とあり、今も平井橋の近くに置かれていることから二橋の内一つは平井橋として良いであろう。この元平井
 橋と思われる橋は当時二川が合流直後の地点で東西に架かっていたようで、東詰め地点はほぼ現在設置されている
 辺りと想像できる。
  「二橋施主」の観点からすれば、前述の書の「浮田五福は吉尾の出身で、文政年間に大阪に出て五龍院と称し、
 漢方薬を製造して財をなしたる人物で、地元永徳寺には多大なる布施をしたと伝わる。」より、寺への参詣の便を
 第一として架けた橋であれば、BとEが最も可能性が高く、その橋に関連してBに「道標1」が有ったとし、Eに
 当道標「道標2」を建てたとするのが良いと思う。ではこの位置で「右兵庫」と「道標1」と同じにしなかったの
 であろうか。明治の地図で兵庫方面への道が吉尾公会堂東50mで八多川を中家橋で南に渡り、吉尾川の西側の山裾
 を縫う聯路として描かれており、「道標1」から吉尾川東岸を南下してきた場合、この橋を西に渡りそこから南下
 するルートであったとするなら、当道標を東に望めば「背後が兵庫」となり、「右」は単なる村中の道と表現した
 ものと考えれば正しい表現に思える。如何であろうか。
  尚、橋Eは現在の山崎橋より少し北に位置したと思われる。)
「八多町吉尾公会堂の道標」には南への案内は無い。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北に望む
 現平井橋北詰から  右手前が当道標  右当道標と奥県道82と
 後方六甲北有料道】  左奥(南)永徳寺へ】  有料道への入口】

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【4.道標北西面拡大 【5.道標南西面中部 【6.道標北東面上部
 右側「むら道」  「文政五壬午三月」  「二橋施…」
 左側「京大坂中」】  「壬」部で折れる】  「主」部で折れる】

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【7.道標南二川合流部を 【8.明治の地図 【9.山崎橋から北を望む
 南に望む、左は吉尾川  永徳寺を中心に  230m先に当道標
 右と下流は八多川】  500m圏の様子】  右枠外に永徳寺へ】

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【10.北区東部の道標】
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