4.神戸市灘区箕岡通4の道標

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神戸市灘区箕岡通4丁目7−13 摩耶山、上野道登り口に東を正面に建つ
(摩耶ケーブル駅から西南西直線160m辺り、北側に「十七丁丁石」がある)
尖頭型角柱 113x24x21p(頂高5p)(上部より54pで折れ)
N34.720021 E135.214537


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東面
┌─―――――――――――――――――┐
│  第四十六番           │
│摂州八十八ヶ所           │
│  摩耶山天上寺          │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│天明二壬寅年建之          │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│     大和屋利兵衛       │
│施主大坂 かい屋嘉兵衛       │
│     中嶋屋権兵衛       │
└――――――――――――――――――┘


(方向や距離が無いので道標とし難いが、寺まで距離が有るため道標とした。)
(天明二(壬寅)年1月1日とすると、西暦1782年2月12日火曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区12)
(摂州八十八ヶ所とは、観音寺のHPに、「江戸時代中期の安永年間(1772〜81年)に月海上人が再興される。
 上人は「摂津八十八ヶ所霊場めぐり」の開祖…、観音院と智光院が一緒になり観音寺と称す。」とあり、大阪市天
 王寺区の真田山南西にあったようで、施主に「大坂」とあるのも頷ける。
  尚、天上寺HPでは、「摂津国八十八所第80番霊場」とあり、当時の番号と異なる理由は知らない。)
(摂津名所図会に「阪口に焔魔堂あり是より十八丁の一丁毎に標石あり」としているので、「十八町」と同じ位置が
 望ましいのかも知れないが、今(2020)は「十七丁」と共に立つ、移設に関しては知見無し。只『神戸の道標』の
 写真では、折損の無い当石がブロック塀の前の舗装路に建つ事から、もう少し下にあったと思われる。
 国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [11]のコマ番号48に上野村からの参詣道の絵が描かれ、
 同、コマ番号50に上記の説明がある。
  この絵(参道の右手に堂)と明治の地図の光明寺から、現在の灘区箕岡通4丁目5−2にある介護施設辺りが
N34.720136 E135.215092
 焔魔堂と思われ、現在地より70m東となれば絵と記述に矛盾は無く「十七丁丁石」はほぼ元位置であろう。)
「摩耶山丁石一覧」も合わせて参照下さい。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を西に望む
 左端が当道標  左に下り東に  右、登り摩耶山へ
 正面階段を登る】  ケーブル駅へ】  左側が当道標】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標北面上部
 左が当道標  「第四十六番…」  「天明二壬寅…」
 右は「十七丁」石】  非常に綺麗に読める】  と読める】

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【7.道標南面上部 【8.道標南面下部 【9.道標北面下部
 「施主大坂」  「大和屋…」とした  「年建之」
 町名等はなし】  屋号と名前が読める】  と読める】

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【10.神戸市東部の道標】 【11.神戸市摩耶山丁石一覧】
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