23.神戸市灘区箕岡通4の十七丁丁石(道標では無い)

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(摩耶ケーブル駅から西南西直線160m辺り、南側に「箕岡通4の道標」がある)
角柱(上部残欠付) 50x16x16㎝(頂残部高5㎝)
N34.720042 E135.214537


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東面
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│(梵字)十七            │
└――――――――――――――――――┘
(梵字「キャ」は十一面観音の種子か)

北面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には記載なし。)
(摩耶山天上寺はWikiに本尊は十一面観音菩薩像とあり、種子は「キャ」でこの丁石と等しい。)
(現在(2020)この丁石は、摩耶山上野参拝道の入口となる地点に建てられている。
 国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [11]のコマ番号48には上野村からの参詣道の絵が描かれ、
 同、コマ番号50の案内には「阪口に焔魔堂あり是より十八丁の一丁毎に標石あり」とあるように本来の入口から
 は十八丁であったはずだが「十八丁丁石」は移設されており、元位置が不明である。そこで「十七丁」の移設が無
 ければ「十八丁石」が決定できると考えて、当丁石の移設の有無を考えてみる事とする。元々此処に有ったかは、
 実際に測れば済む事だが、今と成っては寺の位置も道筋も確定できない。そこで「十六丁丁石」からの距離を見て
 移動の可能性を見ようとした。(ピタリ1丁なら両方揃って移動される確率は相当低いとする考えによる)歩測で
 の結果で180mと2丁弱の距離にあった。今の登山道を進む限り長すぎるが、階段が付けられ登り易い道に付け替
 えられていると思われたので、明治の地図を手掛かりに道筋を改め今の地図で測ると130m程度ではないかと考え
 られる。これでも少し離れ過ぎで、十六丁を不動とすると、20m程下に移動させられたのではないかと考える。
  即ち、当丁石は旧参道上で20m下に移動させられとすると、Web上の「十八丁丁石がかつては箕岡通4丁目6の
 あたりにあったそう」という記事と、ほぼ符合する。
  尚、十七丁丁石横にある案内板ではこの道筋を「摩耶山古道上野道」と呼ぶようであるが、土石流防止堰堤等も
 作られ細かな道筋が一致しないのは当然である。)
(丁石の上部は折れており、補修跡と思われるセメントが付いているが、石の断面は円状と思われ、元は五輪塔であ
 った可能性がある。地輪(現存する下部の角柱部分)の大きさは「十六丁丁石」より幅・奥行きがそれぞれ1㎝小
 さいがよく似ている。)
「摩耶山丁石一覧」も合わせて参照下さい。)

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【1.丁石を北西に望む 【2.丁石を南に望む 【3.丁石を西に望む
 右が当丁石  左に下り東に  右、登り摩耶山へ
 正面階段を登る】  ケーブル駅へ】  右が当丁石】

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【4.丁石を南西に望む 【5.丁石東面拡大 【6.丁石上部を西に望む
 右が当丁石  「十七」のみ簡潔  残欠部が円状
 左は道標とした】  基部が6㎝露出】  水輪部が欠けたか】

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【7.神戸市東部の道標】 【8.神戸市摩耶山丁石一覧】
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