5.神戸市兵庫区東山町4大正の道標

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神戸市兵庫区東山町4丁目16 新湊川の夢野橋南詰の東歩道上に南を正面に建つ
角柱 141x41x42p(頭頂部2p補修趾含まず)(指差像部11x22x2.5p)
N34.682595 E135.161621


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南面
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│村社熊野神社            │
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東面
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│大典記念建之            │
└――――――――――――――――――┘

北面
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│大正四年十一月吉日         │
│         當村 山平亀治郎 │
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西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(左指差像)従是三丁        │
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(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では兵庫区5)
(大正四年は西暦1915年である。大典の日は11月10日であったらしい。)
(同書には橋の擬宝珠が上に乗っているが、現在(2020)は横に置かれている。熊野神社は420m(3.9丁)の距離
 と思われる。大正四年では新湊川は既に付け替えられており道標建立時に橋はあったと思われるが、欄干に組み込
 まれていたかは分からない。由緒があるのか記念の為か、横に親柱と擬宝珠が設置されている。
  当道標は大正頃の流行と思われる指差し像が浮き彫りされているが、何故か下の方に彫られている。通常は一番
 上に彫られているが橋の構造との関係でこうなったものであろうか。
 南160mに「東山町4の道標」があるがそれには幾つかの社寺が書かれているが「熊野神社」の案内はなく
 参詣者は少なかったものか。当道標の「大典」と「村社」の記述から、当時の時代背景が見えるような道標である。
 大典に関連し建立されたものに「三田市南ヶ丘1の道標」がある。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南東に望む
 右奥、熊野神社へ  奥(東)熊野橋へ  中央夢野橋の向こう
 道標後ろは新湊川】  左、夢野橋】  辺り当道標は見えぬ】

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【4.道標西面下部 【5.道標南面拡大 【6.道標東面上部
 左指差し像は  「村社熊野神社」  「大典」は大正
 北を示すか】  と読める】  に違いない】

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【7.道標北面下部 【8.道標を北に望む 【9.道標を南に望む
 「亀治郎」  左、昭和4年の親柱  対岸中央に当道標
 と読める】  右、石製擬宝珠か】  右の橋が夢野橋】

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【10.神戸市中部の道標】
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