1.神戸市兵庫区松原通1の道標

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神戸市兵庫区松原通1丁目1−62 真光寺の山門を入り西50mの植込み中に東を正面に建つ
尖頭型角柱 140x30x28.5p(頂高9p)(下25pで折損、南西角上部10p欠損)
N34.664270 E135.170638


写真himg0264

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東面
┌─―――――――――――――――――┐
│左 京大坂道            │
└――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 者里満ミち           │
└――――――――――――――――――┘
(「者里満」は変体仮名「はりま」で「播磨」か)


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では兵庫区13)
(同書に「今は…境内に保存…もとは大正十二年移転前の清盛塚の前にあったものである。近年発行の郷土誌などに
 は、西国街道上の札場の辻にあったと記されているが。札場の辻の道標(兵庫区11番)はこれより一回り大きい。」
 としている。即ち元位置は清盛塚の前とする。神戸市のHPの「平清盛と神戸 平清盛のお墓」の項に「大正12年、
 「清盛塚」は神戸市電の軌道敷設にともなう道路拡張工事のため、約10メートル北東に移転し現在の地になりまし
 た。」とあるので、兵庫区切戸町の十三重石塔の南西交差点
N34.663602 E135.171259
 辺りの四辻の南東部に、現東面を西面(180度回転)置かれていたものと思われる。
  同書の兵庫区11番とする道標は見つけられなかったが、幅41p、奥行き38pとしているので、確かにこの道標
 よりも相当大きい、札場の辻が主街道の辻なら此方は地方道の辻とすれば大きさに差が出て当たり前の様に思う。
 依って、『神戸の道標』を支持したい。此方が古くからあり、新しい大きなものに置き換えられたとする意見に対
 しては、「道標の面の回りに額縁の様に浅い筋彫りがあり、同じ造り方(即ち同時)と思える」としておく。)
(現在(2020)札場の辻には「南仲町2の道標」が建っているが、これは「『神戸の道標』兵庫区11(不明)」
 とは別物である。)
(各碑面の周囲というか、稜線の仕上げ方と言うべきか分らないが、非常に丁寧な作業が見られる。この仕上げ方が
 上記「『神戸の道標』兵庫区11(不明)」の写真にも見られ、同時に作成されたものではないかと想像する理由
 である。光線の加減と欠損の都合で字の書かれていない面の写真を載せておく。)

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【1.真光寺正門より 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南西に望む
 道標を西に望む  左奥(西)本殿  東面に「左京大坂道」
 参道左に当道標】  右手前、正門へ】  と書かれている】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標上部を西に望む
 「者里満」は  「左」上から左にかけ  稜線の感じからは
 「はりま」で「播磨」】  割れ跡が残る】  余り古くは無さそう】

写真himg0289 写真himg0276 写真himg0286
【7.道標南面下部 【8.道標東面下部 【9.道標北西側上部を望む
 「…満ミち」は  「大坂道」とし同じ  碑面周囲か稜線仕上げか
 「播磨道」と読める】  「ミち」は使わない】  非常に丁寧である】

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【10.神戸市中部の道標】
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