2.大阪市鶴見区浜4の道標(河内国内)

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大阪市鶴見区浜4−7−30 枝切街道焼野の道と現府道15(八尾茨木線)が分れる三ツ辻北部に南東を正面に建つ
(浜公民館から北へ50m、茨田北交番の西でもある)
尖頭型角柱 127x26x25p(頂高5p)
N34.711031 E135.5861


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南東面
┌─―――――――――――――┐
│右 佐太 京   光明   │
│       道      │
│左 守口     講山   │
└――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――┐
│春く 大坂道        │
└――――――――――――――┘
(「春」は変体仮名「す」)

北西面
┌─―――――――――――――┐
│天保九戊戌年八月吉日    │
│春く 大坂道        │
└――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――┐
│    (浜村) 先達   │
│大峯山上三十三度  武右衛門│
└――――――――――――――┘
(( )部は『鶴見区旧街道と道しるべ』より)


(天保九(戊戌)年八月1日とすると、西暦1838年9月19日水曜日となる。この年閏四月あり。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、376
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(鶴見区鶴見が摂津の国で、東の鶴見区横堤が河内国となる様で、河内の道標となり対象外であるが、調べてみたの
 で載せておく。)
(大阪市鶴見区hpの『旧街道と道しるべ』に「浜村 先達 西野武右衛門」とあるが、「先達」の上部に文字らしき
 ものが、二字分程度見えこれが「浜村」か「西野」か判然としない。先達が苗字を持っていてもおかしくは無いが、
 住所の方が自然であろうとして、「浜村」としておく。)
(南東面の「佐太」を守口市佐太とするなら、現在では左右何方の道を採ろうが変わらないように感ずるが、当時は
 この地点から途中の稗嶋に出る道として、右(北東)の古川沿いの道が一般的で有ったものと思う。
  守口方面(枝切街道を北)に進めば、「鶴見区焼野2の道標」に続き、南へ行けば「鶴見区中茶屋1の道標」
 出る。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南西に望む
 右(北東)中環へ  奥(北西)花博通りへ  奥(南)浜公民館へ
 左、焼野へ】  左道なり南の徳庵へ】  左枠外に茨田北交番】

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【4.道標北面上部 【5.道標南東面上部 【6.道標北東面拡大
 右「天保九…」  「右 佐太 京」  「春く 大坂道」は
 「すぐ」は南を示す】  「左 守口」とある】  南への道を示す】

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【7.道標北西面上部 【8.道標南東面下部 【9.道標北西面拡大1
 「年八月吉日」  下部に「光明」  中央部の
 「ぐ 大坂」とある】  「講山」と読める】  「大峯山上」は読める】

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【10.道標北西面拡大2 【11.道標北西面拡大3 【12.道標北西面拡大4
 「上三十三度」  右側「先達」の上  「右衛門」の右は
 とある】  「度」の右は文字か】  「達」の一部】

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【13.大阪市鶴見区の道標】
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