10.大阪市平野区喜連4の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
大阪市平野区喜連4−7−17 喜連小学校北西の五ツ辻の南50mの変則四辻北西部に北を正面に建つ。
山型角柱 79x24.5x18.5p(頂高3p)(像部18x7x1.5p)(台石23x43x44p)
N34.611191 E135.555197


写真himg7002

写真himg7013

写真himg7017

写真himg7020

北面
┌─――――――――――――――――┐
│       すミよし      │
│(地蔵像)右           │
│       さ可以       │
└―――――――――――――――――┘
(「可以」は仮名「かい」で「堺」)

西面
┌─――――――――――――――――┐
│嘉永四年 中喜連村        │
│ 亥正月建之石橋屋辻市      │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│   大念仏寺十八丁       │
│すぐ               │
│   四天王寺一里半       │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│すぐ 高野山ミち         │
└―――――――――――――――――┘


(嘉永四(辛亥)年正月1日とすると、西暦1851年2月1日土曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、408
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、42頁。)
(東面「すぐ高野山」の「高」が変わったくずし字(「の」部分が大きい)だが、続きを考えて「高野山」とした。)
(当地は、摂津国が東に張り出した喜連村内にあるが、300m程南の現長居公園通りが国境となっていた様である。
 現在(2021)では変則の四辻であるが、明治の地図を見ても、現状を見ても道標を必要とする辻には見えず、元々
 の位置では無いと思われる。大雑把に方向を見ると、北面は「住吉」から西、南面は「大念仏寺」から北、東面は
 「高野山」から南へ進む事が必要とされる。今のままでは、東面の「すぐ高野山」が西を示し案内が破綻する。
  高野山を南に向かわせる為に、小学校の北西に有る五つ辻に現東面を北面させて置くと、高野山は南、住吉は西
 を示し問題はなくなるが、東面となる大念仏寺が西を指し北へとならない。しかし「四天王寺」は針中野、南田辺
 と進む西で問題は無い。では大念仏寺はどうするか。明治の地図を見ると、五つ辻から西に進み、喜連村を外れて
 から北に分岐してほぼ真っすぐに大念仏寺に向う小径があり、今は所々道が無くなるが、現在の地図上でトレース
 すると寺の南まで2.1kmとなり道標の示す「十八丁」と一致する。
 依って、元位置は今の馬倉地蔵の東、
N34.611632 E135.555277
 平野区喜連7−6辺りの、五つ辻の南東部(小学校北西部)に、現北面を西面させて置かれていたと考える。)
(台石は元々の物では無さそうで、木片を詰めて隙間を埋めるが不安定である。石の為にも正しい固定を望む。)
(尚、元位置とした変則の五つ辻の北への道は、神社までの馬場跡で、一般的な道ではなかったと、馬倉地蔵の南壁
 に掛かる解説板にある。平野へは北北西の道(中高野街道)で、現在でも細く旧街道の雰囲気が残る道である。)
(北に向かうと、「平野区喜連4の再建道標」
 南高野山へ向うと「平野区瓜破東7の道標」に続く。)
(前述の両書とも「四天王寺」を「天王寺」、「建之石橋屋辻市」を「石橋道市」としており、誤読であろう。)

写真himg6996 写真himg6997 写真himg6999
【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 右端に当道標  奥40mに五つ辻  右奥(南東)高野山へ
 左奥(南東)瓜破へ】  北北西は平野へ】  祠後、喜連小学校】

写真himg7023 写真himg7003 写真himg7008
【4.道標東面上部 【5.道標北面上部 【6.道標西面上部
 「すぐ高野山…」  立像である  「嘉永四年…」
 「高」とした】  頂部が少し欠ける】  「亥正月」とした】

写真himg7024 写真himg7005 写真himg7010
【7.道標東面下部 【8.道標北面下部 【9.道標南面下部
 「野山ミち」  「右すミよし」  「中喜連村」は当地
 と読める】  「さ可以」とある】  「石橋屋辻市」とした】

写真himg7015 写真himg7040 写真himg7000
【10.道標南面上部 【11.道標北面台石部 【12.道標を南に望む
 「すぐ大念仏」  違和感のある  後道右はほぼ袋小路
 「四天王寺」】  台石の上に乗る】  他の面は柵で見えない】

写真himg7019 写真himg7053 写真himg7055
【13.道標南面下部 【14.馬倉地蔵東より 【15.馬倉地蔵南壁の解説板
 「仏寺十八丁」  現道標辻を南に望む  当五辻の形状について
 「王寺一里半」】  左端辺りが元位置か】  の解説が載る】

写真himg2322
【16.大阪市平野区南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ