20.堺市北区蔵前町3の道標2(河内国内)

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堺市北区蔵前町3−5−43 府道28号ときはま線蔵前橋西交差点を東へ160m、筋違い交差点を北へ道なりに120m
の筋違い四辻西側公園内の東端に東を正面に建つ。
蒲鉾型角柱 120x21.5x14p(頂高4p)
N34.575931 E135.518516


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東面
┌─――――――――――――――――┐
│     世話人  青木梅吉   │
│     青木松吉 □井平吉   │
│長曽根道             │
│     村田市松 南野巳之吉  │
│     吉田豊吉 山下常吉   │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│右 金田道            │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│昭和四年二月           │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(昭和四年は、西暦1929年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、18A)
(現在(2021)の阪神高速堺線が通る道より東は和泉国となり、向陵町を越えると河内国内となり、対象外であるが、
 調べたので載せておく。)
(難解な道標である。
 東面「長曾根道」に方向が書かれていないので、街道名と考えて『大阪府史』明治36年刊(昭和36年復刻)にある
 街道一覧を探すが名前が見えず、現在でも聞かないようである。「街道」ともしていないことから、道の名称では
 なく、地名(集落)か寺社の名前とし、案内方向は「すぐ」と見なし、昭和4年修正地図を見ると、当地から南西
 に「長曾根」の集落が有り、神社も有る様でこれに当てると、「右金田道」が南の金岡神社のある金田を指さなく
 なる。
  この条件を満足させるには、竹内街道の黒土町、中百舌鳥の北辺りにある必要があり、距離的には一般的な移設
 の範囲に入らないが、世話人の住所などが分り、其処の近くに戻された等と考えるのも一つであろうか。
  都合のいい解釈を一つ述べてみる。現東面が北面して現在の位置でなく道を挟んだ東側に置かれていたとして、
 北から来た場合、方向の書かれていない長曾根はそのまま南へ、一方西から蔵前の南端を廻り込んで来た時、現在
 の北面が西を向いているので「右金田道」も南折れし、どちらも南へ向いその後長曾根は西へ分岐するとする。
 昭和4年修正地図から、分岐点は現在の新金岡東一次住宅1−27棟の西辺りと想定できる。近接移設とする。)
(当道標の北西200mに「蔵前町3の地蔵道標」、北東180mに「蔵前町3の道標」がある。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 奥(南)府道12号へ  奥突当り北130m  奥(西)集落を抜け
 電柱辺りが元位置か】  勝手大明神へ】  長尾街道へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面上部 【6.道標北面拡大
 フェンス外から  「長曽根道」  「右金田道」
 見る様に置かれる】  方向は示さず】  ここで右は西を指す】

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【7.道標西面拡大 【8.道標東面下部 【9.道標上部を東に望む
 「昭和四年二月」  世話人の下段部  手前の面に
 と読める】  「青木梅吉…」】  紀年が書かれる】

写真himg2323
【10.堺市の道標】
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